6年間在住したタイで体感したタイカルチャーをオリジナルな視点で発信している、名古屋の浄心にあるタイカレー食堂『YANGGAO』
今回は店主でデザイナー、そしてDJでもある、『MOOLA』こと、村松和昌さんにインタビュー
vol.2 では、奥さま佳世さんの『 ROOTS OF STORY』
vol.3 では、『YANNGAO』OPENから現在に至るまでのストーリーをお届けいたします。
ふたりから生まれる『唯一無二の世界観』を是非!お楽しみください!
ー今回は取材を引き受けてくださりありがとうございます。では早速、子供時代からのお話を教えて下さい。
1982年名古屋生まれです。小学生の時に岐阜県の多治見市に家族で引っ越して、それからは多治見で生活してました。
レコード好きな父と、自由にのびのびと育ててくれた母、4歳違いの妹の4人家族でした。
小学生の頃は近所で走り回って遊んでいましたが、中学生になるとファッションや音楽に興味が湧き始め、そういうカルチャーを間近で見たり触れたくなり、名古屋によく遊びに行くようになりました。
当時は同じような感覚の友達が近くにいなかったり、自分から共感できる人を探そうとしなかったので、名古屋に行く時も1人で出かけていました。いま思えば、1人だったことで自分の知りたい事だけを追求して、夢中になれる満足感ある時間の使い方をしていたんだと思います。
そんな僕に対して母は「夢中になれる好きなコトがあるっていいね」といつも温かく見守ってくれていました。
「パッと見た感じTシャツに短パンの普通のおじさんなのに、なんでこんなにもフューチャーされているんだろう?」
当時読んでいた本や雑誌の中で『藤原ヒロシ』さんがミュージシャンやデザイナーの方と対談していたり、色んなアイテムを紹介してるのをよく目にしていて、
「パッと見た感じTシャツに短パンの普通のおじさんなのに、なんでこんなにもフューチャーされているんだろう?」って、まだその存在の大きさを知らない僕は、気になりながら不思議に思ってたんです(笑)
でも段々と色んなカルチャーが彼をきっかけに繋がっていて、新しいモノやコトがそこから生まれていく感じが分かってきて。
『藤原ヒロシ』さんが関わっているモノや紹介しているモノへの興味がどんどん強くなっていったんです。ファッションだけじゃなく紹介する音楽やアーティスト、デザイナーそれぞれのルーツや繋がりも気になりだして、自分なりに色々と調べるようになっていきました。
でも「紹介しているモノ全てがいい」っていう事ではなくて、その中で「自分がいいと思う・思わない」の線引きみたいなものも段々と芽生えてきて、いいと思うモノやコトについてはかなりストイックに調べたりしていました。
洋服でいうと『GOODENOUGH』『UNDERCOVER』とか『STUSSY』『Worlds End』が好きだったんですけど、好きなブランドの洋服を見れば「いつのコレクションなのか」「コレクションテーマはこれだった」とか、すぐに答えられる感じでした(笑)
そうやって知識が増えていくと「選んでる理由」や「選ばれてる理由」が理解出来てきて、だんだん「欲しい!」って思い始めたんです。
でも紹介してる洋服は、Tシャツ一枚でも近所で売ってるTシャツの何倍もする。中学生には簡単には買えない値段だったんで、なかなか手に入れれなくて。
物欲は湧くものの手に入れれず悶々としていた時に「Tシャツは無理でも紹介してるレコードなら中古で探せば手に入れることが出来るんじゃないか?」っていう発想がふと湧いてきたんです。
実際にレコード屋で探すと数百円で手に入れる事が出来たりして、レコードを手に入れた事で自分がカッコイイなって思ってる大人の人と共通言語が持てた様な気持ちになれたのを覚えてます。
「面白いジャケットのレコードが欲しい!」「まだ聴いた事ない、知らない音楽を聴きたい!」
ちょうどその頃『藤原ヒロシ』さんの『HOME MADE RADIO SHOW』っていうラジオ番組を毎週聞いてたんです。
その番組は「今週はファンカラティーナ特集」「来週はNEW WAVE」っていう感じで各ジャンルの中で代表的な曲だったり、ルーツになった曲を毎回紹介していて、このラジオ番組が自分にとっての「音楽の教科書」になって、いろんなジャンルの音楽を吸収するきっかけになりました。
番組で紹介されたレコードを探しにレコード屋さんに足を運んだり、そこで出会った音楽に詳しい大人の人からも知らなかったレコードを教えてもらったりして、興味も幅もどんどん広がって行きました。
音だけじゃなくて、レコード自体のジャケットの格好良さやデザインにも夢中で「面白いジャケットのレコードが欲しい!」「まだ聞いた事ない、知らない音楽を聞きたい!」っていう感じで、レコード探しに没頭した日々を過ごしてましたね。
毎日、色んなジャンルの音楽を聴きながら「カテゴリーがそれぞれあっても、どこかしらで、どのジャンルも繋がってるんだ」っていう事にも気付いて、音楽が持つ面白さにどんどんのめり込んでいきました。
父がレコード好きだった事もあってターンテーブルは家にあったので、他のミキサーとかの機材を知人から安く譲ってもらったりして音を繋げる環境が整って、高校生になる頃には集めたレコードでDJ出来るようになってました。
ビートを作ったりとかスクラッチとかの技術的な事を磨いていくDJスタイルではなくて、いろんなジャンルを自分なりに消化して派生しながら音をつなげていく感じのスタイルでした。
「アイデンティティをどうやって表現していくか?」
レコード屋やイベントで出会ったお洒落でカッコイイ大人の人達との出会いも僕の中で大きくて。DJの技術やテクニックを教えてもらったり『音楽で遊ぶ』っていう事をたくさん教えてもらってましたね。
ファッションや映画、いろんなジャンルのカルチャーにも詳しい方ばかりだったので、音楽以外のそういう話にもついて行きたくて、教えてもらった事を調べたりと日々必死でした(笑)
憧れのデザイナーやミュージシャン、そして出会えたカッコイイ大人の人達から学んだ事はそれだけじゃなくて、ファッションでもカルチャーでも真似して消費して終わるんじゃなくて、ちゃんと消化して『自分だったらどうするか?』っていう事を考える大切さを背中を見ながら教わりました。
『アイデンティティをどうやって表現していくか?』っていう思考がこの時に身に付いたお陰で、今でも同じ趣味が続いていて楽しめているのかなって思いますね。
ー高校は何科に進学されたんですか?
高校は地元の進学校を選びました。文系進学クラスを専攻したのですが、なぜその高校を選んだのか自分でも謎です(笑)
勉強以外の事に興味があり過ぎて、相変わらず学校の勉強は全然頭に入ってこない(笑)だから順位はいつも下の方でしたね(笑)
高校に入った頃『デザイン』にも興味が湧き始めて、当時読んでいた『ASAYAN』っていう雑誌で常盤響さんが「MACがあればデザインできる」って書いてあったんです。それでMACが欲しくなって。
自分が持っていた洋服とかを売って、なんとか資金を用意して当時発売されていたスケルトンの
『i MAC』を買ったんです。
けど、MACだけあっても何も出来ないんですよね(笑)
調べたら「どうやらAdobeっていうソフトがいるらしい」って気付いて(笑)
「『MACさえあればデザインできる』って書いてあったじゃん!」「Adobeもいるよって書いてなかったじゃん!」ってなって(笑)
パソコンの本体を買うだけで力尽きてしまったので、もうどうしようも無くなって。両親に必死にプレゼンして、どうにか『Adobe』を用意してもらったんです。
やっとの思いで、何とか道具は揃ったものの、次は使い方が分からない(笑)
当時は使ってる人も身近にいないし教えてくれる動画もないから、辞書みたいな分厚いHow to 本を読んで、試行錯誤しながら毎日MACを触り続けて使い方を勉強してました。
「とりあえず何か形にしていこう!」と思って、音楽イベントをやっている先輩達に「僕MAC持ってるんでイベントフライヤーなんでも作れます!」ってアピールしてたんです(笑)実際はまだ全然使いこなせてない段階だったんですけど、徐々に製作依頼してくれる方が増えていって。製作を積み重ねてたくさん経験を積ませてもらえた事で高校を卒業する頃には、ある程度イメージしたものをカタチに出来るくらいMACも使いこなせるようになってましたね。
ーその後の進路はどうされたんですか?
高校卒業後は『名古屋造形芸術短期大学』(現:名古屋造形大学)の工芸科に進学しました。
学校ではシルクスクリーンとか木工とか、手を動かして作るような立体デザインを学んでました。
ただ、その時の勉強が今の自分に反映されているか?って言ったら、あんまり反映されてない気がします(笑)学校生活よりもプライベートの比重が大きくて、そっちで得たものの方が遥かに大きいですね。
大学卒業後は転職もしながら、ずっとデザインの仕事をしてました。
ータイには、どのタイミングで行かれたんですか?
30歳の頃に転職した会社が『街のデザイン屋さん』みたいな会社で、店舗デザインやメニュー表・看板などのディスプレイデザイン等を制作する会社でした。
国内だけじゃなく韓国やタイにも支店があって、現地の日系企業から依頼を請けて制作したりする会社だったんです。入社当初は日本で働いていたのですが、しばらくして会社の辞令でタイへ海外赴任する事になったんです。
今まで海外に行った事も無いし、もちろんタイ語が話せる訳でもない。
タイが好きでタイに行った訳では無かったので最初はどうかな?って感じだったんですけど、いざタイでの生活が始まると日本で過ごしていた生活とそんなに変わらなくて。
わりとすぐに慣れて、マーケットなどを散策したり自分なりに楽しみを見つけて楽しんでいましたね。何よりも現地で出来たタイ人の友達との出会いが自分の中で大きかったです。
ータイのご友人とはどんな風に出会ったんですか?
タイで暮らし始めて間もない頃、道を歩いてたら1人のタイ人に「DJとかやってそうだね!出来る?」って声を掛けられたんです。
一応レコードバッグに入る分だけのレコードをタイにも持って行ってたんで「1・2時間くらいなら出来るよ」って答えたらすぐにDJをする機会を作ってもらえたんです。
その時、声を掛けてくれた方が実はタイで有名な音楽プロデューサーで、他の場所でもDJさせてもらえる場を作ってくれて。そこで出会ったタイの友達にもいろんなイベントに声を掛けてもらえるようになって、そういう事がきっかけになって仲良くなっていきました。
彼らのお陰でプライベートな時間も少しずつ充実していって、遊ぶ場所も覚えていってタイでの生活が楽しくなっていったんです。
タイで出会った友達とは、好きなモノや良いなって思えるモノの感覚がすごく似ていて、音楽でもファッションでも同じものが好きだったり、気になるカルチャーが一緒だったりしたので、僕の空気感を理解してもらうのも早かったし、仲良くなるのにも時間が掛からなかったんです。
友達には「タイで有名なモノや一般的な場所じゃなくて、自分達が好きなものや楽しいって思えるモノを教えて欲しい!」と伝えていたので、タイで長く住んでる人も知らないようなマニアックな場所をたくさん教えてもらったり、彼らも知らない場所に一緒に出かけたりしてました。
友達のフィルターを通した上で教えてもらえた『タイカルチャー』は自分では辿り着けないものばかりだったし、自分の先入観なしで知る『タイカルチャー』はすごく面白くて、新しい発見や刺激を沢山与えてもらいました。
『ゲーンハーンレーカレー』との出会い」
タイでの生活が3年過ぎた頃、離れて生活していた妻と入籍して一緒にタイで暮すようになりました。
妻は僕と好きなものや価値観が似ているので、タイの友人達とも仲良くなるのに時間がかからず、彼らも妻を温かく迎え入れてくれました。
休日になると、みんなでドライブしながらレコード屋巡りに行ったり、友人の薦めてくれる地方の食堂に行ったりしてましたね。
その中で出会った現地の家庭料理の中に、今『YANGGAO』のメニューにもなってる『ゲーンハーンレーカレー』との出会いがあったんです。
タイカレーなので定番の『グリーンカレー』をイメージしてたんですが、もう全然違うっ!
それがすごく美味しくて、今まで食べた事ない味に衝撃を受けて自分の中で忘れられない味になったんです。地方の料理っていろんなスタイルがあって、同じ名前でも味が違う美味しいものがたくさんあって。特にタイ北部の家庭料理がすごく美味しくてよく食べてました。
「自分でもこの味を作ってみたい!」と思ってタイの友人に食堂をやってる方を紹介してもらって、その方にカレーの作り方を教えてもらったんです。何度もカレーの試作を作って行くうちに自分達の好きな味のカレーが作れるようになりました。
ー元々、料理は得意だったんですか?
いやいや、全然です(笑)
ただ、レコードや洋服が欲しかったり物欲はある方だったんで、それを買う為に節約を兼ねて自炊はずっとしてました。
元々料理上手っていう訳でもないですし、そこでは勝負できないので、あれもこれも手を広げずに自分達が好きだったタイ料理の味を再現するっていうやり方にしています。
なので『YANGGAO』で提供しているカレーは自分達が「美味しいな」って思った味をそのまま届けたくて、材料の兼ね合いで多少のディテールの違いはあるかもしれないんですけど、日本人向けにアレンジしたり辛さを調整したりとかはしないで提供してます。
ータイでは具体的にどんなお仕事をされてましたか?
依頼された看板やメニュー表などのオーダーをデザインとして制作する事が仕事でした。
基本的には僕の意見やアイデンティティーが入っている訳じゃなく、ただ依頼書通りに形にしていくっていう感じでしたね。
「これ本当に必要なのかな?」「本当にこの店やりたくてやってるのかな?」って思う依頼も沢山あって。そういう事を考えながらやっていると手が進まないしキリがないんですけど、頭の片隅で「自分がお店をやるんだったら、こうするのにな」ってシュミレーションをしたりしてました。
そもそも看板って興味のない人に来てもらうためのツールだったりする訳じゃないですか?
看板一つでもデザインで導くことが出来ると思うし、看板ってそういう意味では大きな役割があると思うんです。
どんなデザインにも言える事だと思うんですけど、ひとつひとつのデザインにどういう意味と必要性を感じることが出来るかが重要なんじゃないかって思っていて。
意図的に届いて欲しい人にちゃんと届くデザインじゃないと、なんの為にやってるのか分からないしデザインする意味がない。その場しのぎのお客さんだけ掴むような看板が必要なのか?っていったら、それは違うよなって思うんですよね。
ちゃんとメッセージを出した人が「この人に届けたい」って思ってる相手に届くモノを作る事が大事だと思うんです。
その時に感じた違和感や経験が今自分がモノ作りをする上でも反映されてると思うし、自分達のお店をつくる時にはそういう空気感が伝わるデザインをしようって思ってましたね。
次回のvol.2 では、奥様である佳世さんの ROOTS OF STORY をお送りいたします。
新型コロナウィルス感染症対策について
『アルコール消毒』『三密の回避』『検温』『マスクの着用』など
感染症対策を徹底した上で取材・撮影を行なっております。
また、撮影対象者のみマスクを外して撮影しておりますが
充分な距離を保った上で撮影させて頂いております。