[ 006 YANGGAO KAYO vol.2 ]

今回は奥様である佳世さんの子供時代のお話からタイで暮らしていた時のお話をお伺いさせて頂きました。

子供時代のお話、ランドスケーププロダクツ時代のお話、タイで過ごされていた時のお話を教えて頂きましたので、ぜひお楽しみください!

ー今回は取材を受けてくださりありがとうございます。まずは子供時代のお話からお聞かせください。

1980年生まれの愛知県出身です。両親と2歳違いの姉との4人家族でした。

名古屋生まれの稲沢育ちだったのですが、小学校3年生の時に名古屋の祖母の家の近くに家族で引っ越したんです。

それまで住んでいた場所は田んぼがあるようなのどかな環境だった事もあって、早歩きな都会感に「なんか忙しそうだな」って子供ながらに感じたことを覚えています。

歳の近い姉がいてくれた安心感もあって環境の変化に戸惑う事もなく、生活にも学校にもすぐに馴染んでいました。

姉からの影響は大きくて『ファッション』だったり『音楽』だったり、読んでいる雑誌に至るまで、いろんな影響を受けていました。きっと憧れのようなものも混じっていたんだと思います。

高校生になると自分で見つけた好きなものもだんだん増えてきて、メロコア系の音楽が好きになって好きなバンドの音楽を聴くためにライブハウス巡りをよくしてました。

ーその後の進路はどの様に決められたのですか?

高校は普通科でした。その先の進路をどうしようかな?って考えていたら、姉の友人が美大へ進学した話を聞いて。それまで『美術大学』は自分には縁がないと思っていたのですが、授業の話を聞かせてもらった時にすごく興味が湧いてきたんです。

すぐに「受験してみたい!」って思って色々と調べたら、一般的な受験勉強とは違って『デッサン』の実技試験があることを知って。

美大を受験する子達は遅くても、高校一年生くらいから絵画スクールに通いはじめるみたいなんですけど、私は美大の存在を知ったのもすごく遅かったので、絵画スクールに通い始めたのも高校3年生の春休みからだったんです。

通っていた絵画スクールでは定期的に講評会っていう描いた絵に順位を付けていくテストみたいなものがあったんですけど、順位は下位ばかりでいわゆる『落ちこぼれ』でした。

でも不思議と諦めようとかは思わなくて「やるしかない!」「今やれるだけの事は全力でやろう!」と思って日々励んでました。

それでもやっぱり現実は厳しくてスクールの先生には「4年制は難しけど、短大なら1年頑張れば何とかなるかも」って言われていたんです。

でも4年制の大学に行きたい気持ちが強かったので、「とにかくやり切るしかないし、何よりも自分が後悔しないように」と前だけ向いて試験まで残り少ない時間必死に練習していました。

迎えた試験当日は全てをぶつける事が出来て「今自分が出せる力は全部出せたな」っていう達成感で清々しい気持ちだった事を覚えています。

諦めずに頑張り続けた結果、進みたかった『名古屋造形芸術大学』(現:名古屋造形大学)の4年制に無事入学する事が出来ました。

スクールの先生も喜んでくれて一緒に受験した友達も合格してあの時の達成感と高揚感は今でも忘れられないです。

大学ではプロダクト工芸デザイン科を専攻し、家具を作ったり陶芸で作品を作ったりと日々制作に励んでいました。

モノ作りの原点や制作過程など深く学び充実した学生時代でした。

ー大学卒業後はどうされたのですか?

就職活動が始まって、就職試験や集団面接にも何社か受けたりしていたのですが「当社のどの様な所に惹かれましたか?」っていう質問に教科書通りしか答えられなくて。

自分がその会社にどうしても入りたいかって言ったらそうじゃないし、自分がそういう気持ちだとやっぱり上手くいかなくて。「今、自分がやりたい事ってなんだろう?」って考えても答えが出ないままだったんです。とはいえ何もしない訳にはいかないっていう感じで就職活動も続けていました。

その頃は「このまま卒業しても就職出来ないかもなぁ」って思いながらただ時間が流れていく感じでした。

そんな矢先に高校時代からずっと「いいなぁ」と憧れていた『ランドスケーププロダクツ』のお店に遊びに行ったんです。

その時にSHOPの店長とお話しする機会があって「スタッフってどういう時期に募集しているんですか?求人募集はありますか?」っていう質問をさせてもらったら「今は求人募集していないけどもし良かったら履歴書を送ってもらえたら預かっておくことはできるよ。」と店長が言ってくださって。それで名古屋に帰ってすぐに履歴書を書いたんです。

郵送でも良かったんですが、悔いが残らないようにと思って、そのまま東京にまた行って直接履歴書を店長に受け取って頂き、預かってもらったんです。

しばらくして、その時の店長から「ランドスケーププロダクツの期間限定のPOP UP SHOPを3ヶ月くらい開催するんですが、東京でイベントスタッフとして働きませんか?」っていう連絡を頂けて。

その頃、卒業間近な時期でまだ就職先も決まっていなくて、本当は就職活動をするべきだったかもしれなかったんですけど、どうしても行きたくなってイベントスタッフをやらせてもらう事に決めて東京に向かいました。

店長からも「このまま就職出来るわけでは無いけど大丈夫?」っと気にかけて頂いていたんですけど『ランドスケーププロダクツ』に直接関われるだけでただ嬉しくて。「先の事を考えるのは後にしよう」と心に決めて「今やれることをやろう!」という思いでいっぱいでした。

その後「規模を拡大する為、スタッフ募集する」というチャンスが巡ってきて『ランドスケーププロダクツ』の一員として働けることになりました。

ランドスケーププロダクツでは『プレイマウンテン』という家具をメインにしたSHOPでの勤務が決まり、本格的に東京での新生活が始まったんです。

ー『ランドスケーププロダクツ』では、具体的にどんな事をされていたのですか?

当時はスタッフの人数も少なく販売員としてだけではなく『接客』『製造』『在庫管理』『商品の買い付け』などマルチに携わらせて頂いてました。

それ以外にも家具を作る時に残る木材で作ったアクセサリーやSALE告知のポストカードの作成、新事業のキッズセレクトショップの立ち上げ等、企画にも携わらせて頂き貴重な経験をたくさんさせて頂きました。

制作過程でチームみんなで支え合う事や異業種の方々とのコミュニケーションの取り方、プロダクトを作るときの思考や展開の仕方、視点次第でいろんな考え方が変化する事など、本当に幅広く学ばせて頂き仕事のキャリアだけではなく人としての成長のきっかけもたくさん与えて頂きました。

ー 何年間、在籍されていたのですか?

入社から約8年間勤めました。

やり甲斐もあって充実していたんですが、会社自体もずっとそこにいるっていうよりは次の目標を見つけて卒業していくっいう流れがあって。独立して自分でお店を持ったりする先輩が多かったんです。

自分の年齢も気付けば30代目前になり「ずっとこのままでもいいのかな?」と考える事が増えてきて、退社する事を決めました。

本当にたくさんの事を学ばせて頂き、普通では出来ない貴重な経験を沢山させてもらい感謝してもしきれないです。ランドスケーププロダクツで培った経験は、今も自分の大きな財産になってますね。

その後は、短期スタッフとしてナディアパークにあるデザインセンターで勤めてました。

そこで出会った方に「デザイン事務所を立ち上げるので手伝って欲しい」と声を掛けて頂いて、そのデザイン事務所で働かせて頂く事になりました。新たなやり甲斐を見つけて1年半くらい勤務していましたが、結婚を機にタイへ行く事になり退社しました。

ータイでの生活にはすぐに馴染めましたか?

夫が先に3年半タイで生活していたこともあり、ある程度の生活環境を整えてくれていたので困る事なく生活していました。でもタイ語はまだ話せなかったのでマーケットなどのお買い物の時には最低限のやり取りが出来る程度の英語で生活してる感じでした。

タイでは専業主婦だったのでタイ語の勉強をする時間が取れない夫に変わり、語学学校に通ってタイ語を習い始めました。週5日ペースで通い、会話をはじめ文字の読み書きまで学ぶ事が出来ました。

タイで出会った友達は、日本人とかタイ人とか関係なくフランクに話しかけてくれて、穏やかで肩の力が抜けた空気感で接してくれていたので、すごく心地よくてすぐに仲良くなることが出来ました。

今思えばなのですが、色々な事を夫が考えてくれていてタイで遊んだりするフィールドを開拓してくれていたり、タイ人の友達とも交流を深めていてくれたお陰で、ホームシックになったり寂しい思いをさせないようにしていてくれてたんだなぁと感じていて。

夫と同じタイミングでタイに行っていたら、また違う生活になったいたと思うし、そういう風にしてくれた夫にすごく感謝してます。

ータイから日本に帰国するきっかけになった出来事はどんな事でしたか?

タイでの海外赴任が6年を過ぎた頃、夫の勤めていた会社の事務所が移転する事になって、新しい事務所の一階が空いていたんで、そこで夫とタイの友人と飲食店をやろうと考えていたんです。

でも日本人がタイで自分のお店をやるのは、なかなか大変で。法律的にも雇用制度的にも自分達にはハードルが高くて。それでも諦めずに試行錯誤しながら、なんとかOPENできる方法は無いかなってみんなで模索してたんです。

そんな矢先に、名古屋に住んでる父が脳梗塞で倒れて。

命に別状もなくて麻痺はなかったのですが脳に障害は残り、今後やっぱりサポートが必要になっていくって事になってどうしようかな?っていろいろ考えていたら

「名古屋の両親の側にいるカタチで生活しながら、自分達2人で無理なくやれる範囲でお店をやるっていうのもいいんじゃないか?」って夫が提案してくれて。

その言葉がきっかけになって2人で話し合い、『自分達の身の丈に合った無理しないスタンスで楽しんでやる』『自分達が本当にやりたいことしかやらない』っていう事を決めて、日本へ帰国し『YANGGAO』をスタートする事になりました。

次回のvol.3 では、『YANGGAO』のOPENから現在に至るまでのSTORYをお送りいたします。

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