[ 015 Flower Pusher/草月流師範/闇花屋 アレキサンダージュリアン]

「いけばな草月流」の師範でもあり、広告のビジュアル制作や洋服の販売、いけばな教室など、深く幅広いフィールドで活躍しているアレキサンダージュリアン

今回はそのアレキサンダージュリアンにインタビュー                          

自身の活動の原動力になっているものや、作品製作への思いなど、色々なお話をお聞かせ下さいました。

常に新しい価値を提案し、真摯に植物に向き合い続ける唯一無二の存在、アレキサンダージュリアンの ROOTS OF STORY を是非お楽しみ下さい。

ー どんな子供時代を過ごされていましたか?

かつあげの多い地方都市で生まれました。

年の離れた兄と姉がいるのですが、両親、特に父親は上の2人にしつけが厳しく、僕にはそういうことが全くなくて自由にのびのびと好きに育てられた結果がこういう芸風になった感じです。

小学生低学年の頃は友達がいなくて。親にも友達が少ないと気付かれてしまい、無理やり地元のソフトボールチームに入れられました。

朝は魚市場で働いてるかなり怖い監督のいるめっちゃ厳しいチームで、週に3日はスクワット150回、腹筋背筋各60回、ひたすら走り込みをさせられハードに鍛えられて、体は小さかったのですが急激に基礎体力が上がり、その年の持久走大会では無名ながら2位になりました。

その時の鍛え方や練習がほんとに辛かったので、この年齢になっても何でも乗り越えられる忍耐が付きました。  

中高生くらいになるとレコードとかCDとかを自分のお金で買うようになって、街にレコード屋が沢山あったからテクノやHIPHOP、現代音楽や前衛音楽などいろんな音楽を聴いてました。

当時、あるレコード屋の店員さんにすごく可愛がってもらっていて。その店員さんはギークな人でジャンク屋でPCのパーツを集めて自作のパソコンを作ってもらったりしてたんです。

作ってもらったPCには音楽ソフトとかサンプリングソフトも入っていて、その頃BSでやっていた相撲の副音声が英語だったんですが、それを音楽ソフトに録音してカットアップコラージュの相撲の曲を作ったりして遊んでいました。

洋服も小さい頃からずっと好きで、地元のカツアゲゾーンを回避しながら古着屋さんにおこずかいを握りしめて買いに行ってました。

地元のお洒落な人が集う公園で街角スナップを撮られ「これはTUNE?全国紙デビューだ!」とめっちゃ喜んでいたら『ケンタッキーフライドチキン』のフリペーパーに載ってアホ面を晒されたり、デニムが流行った時には、柔らかい伸びるストレッチ素材のsomething的なデニムを間違って買ってしまい友人に笑われたり、服に関してはたくさん買ってトライ&エラーを繰り返してました。

高校生の頃に買った服は今も大事にしてて、断捨離に該当する服もなく増える一方なので今は冷暖房完備している倉庫を借りていて、そこに大切に保管しています。

その倉庫は半年契約すると3カ月分無料にしてくれる謎の金額設定です。

 ー 今の業種に携わるまでに、植物学などを学ぶ学校に通われたりしていましたか?

全然、お花の専門学校とかには行ってないです。

高校卒業後は経営学を学ぶ大学に進学しました。

その後、就職活動の時期になり「どうしようかな?」って思って色々と調べていた時に『ジャパネット高田』が新卒の番組制作部門でたまたま募集をしてたんです。

当時、深夜にダチョウ倶楽部がジャパネットの高田社長とコマーシャル番組をやっていて、僕は昔からダチョウ倶楽部が好きで竜ちゃんの自伝も持っているくらいだったので「番組制作部門に就職したら一緒に竜ちゃんと仕事出来るかも?」と思って応募しました。

そしたら順調に筆記も受かり最終面接まで進んだんですけど、その肝心な最終面接日と前々から計画していたヨーロッパ旅行に行く日が重なってしまって。

面接当日に国際空港からジャパネットの人事に電話して「すいません。今日行けなくなりました」ってお断りをしてヨーロッパ旅行に行きました。

ヨーロッパ旅行ではスウェーデンやフィンランド、エストニアあたりを1ヶ月くらい回りました。            

単純にデザインや建築とかそういったものを見たいっていうのと、今でいうグラフィティのZINEとかを買ったりしてました。

後は昔なにかの本で読んでから気になっていたスウェーデンのウプスラって町にある音楽療法研究所にも立ち寄りました。

そこの研究所は音楽療法で病んでる人の心を音楽の力で治療する研究所なんですが、大卒後にここに留学するのも良いなと思っていたんです。

でも、入学条件を見るとピアノを弾けないといけないとか難しい条件が並んでいてスウェーデン留学は諦める事にしました。

帰国後は就活を進めている企業もなく「どうしようかな?」って思っていた時に「立体物を作り生産的にお金を貰える仕事って面白いな」って思い始めて。

例えば建築や料理とか選択肢が色々とある中で、お客さんのイメージを聞いて花束を即興的に作るお花屋さんの仕事って面白そうと思い、就活先に選びました。

どのお花業界もそうなんだけど、運転が出来て多少過酷な力仕事もオッケーなメンズを欲しがっていて、地元の大きな花屋さんに履歴書を送ったらスムーズに入社出来て、その会社で4年程勤務していました。

就職後は花市場で仕分けをしたり、ホテルのウエディング装飾や配達業務をしながら20代前半は業務に明け暮れていました。

仕事をしながら、もっと多角的に花屋さんとしての知識を学ぼうと思って『観葉植物の資格』や『切花を扱う資格』など色々と取得し、その過程でいけばなの勉強をはじめました。

クライアントを黙らせるための師範カードはほんと便利なので、みんな師範になったほうがいい

「いけばな」の場合は好きな先生に付き学ぶのですが、変わった作品を作る草月流のユニークなおばあちゃん先生がいて、その人の弟子になり4年ほどお稽古していました。

僕も若かった分すごく可愛がられていて先生に良くロイヤルホストへ連れて行ってもらってました。

草月流には「基本」「応用」みたいな感じでテキスト本が4冊あって一冊の中にいわゆる型やデザインが22コマだから結構あるけど、仕事しながら週2・3回くらいのペースで真面目に通って、そのおばあちゃん先生の最終テスト審査に合格し27歳の時に晴れて師範になりました。

当時、この年齢での師範はかなり若いほうだと思います。

今でも定期的に先生と連絡を取り合っていて作ったいけばなの写真を送ると、とても誉めてくれます。

師範になった主な理由は、僕みたいなナードなキャラで権威的な師範って面白なぁと思って。なんか凄そうじゃないですか師範って。師範ってデカビタとか飲まなさそうじゃないですか?いやぜんぜんデカビタとか飲むしね。

師範になったらホントに仕事する上で便利で、あるクライアントがいるとして僕のデザインや提案を差し戻してくるのですが、その際に「このデザインはいけばの伝統的な黄金比で構成しているのですが、大丈夫ですかね?」とウソを言うと、大きい会社ほど「伝統に口を挟んではいけない」と焦って、だいたい1ターンでOKをもらえます(笑)

クライアントを黙らせるための師範カードはほんと便利なので、みんな師範になったほうがいいです。

師範の資格を取得後に「このまま地元にいてもしょうがないな」って思い始めて上京しました。

ー 本格的な作品作りは、いつ頃からスタートされたんですか?  

2018年頃に服を作り始めたのがはじまり。

色んな生産者と会っていく中で廃棄問題を目の当たりにして。例えば、チューリップは生産する過程で頭が2つあったり開花不良で花がちょっと小さいとか生産量の約5%くらいは出荷規格に見合わないものがあって廃棄されています。

でもその廃棄の背景には生産者のブランドとかこだわりがあるから、そこに「勿体ないよね」と何か言いたいわけではなくて、作るものにストーリーを持たせたかったのと、ちょっとした実情を知ることで今まで触れてきたチューリップに愛情を持ってもらいたいからです。

その市場には出さず廃棄される植物で染めたのが最初に作った廃棄染めのロンTeeです。

ポイントは生活で出るゴミではなくて、一次産業で発生した廃棄分を利用してる事。今でいうサスティナブルの走りです。いや走りっていうよりパイオニアですね。

廃棄される植物を回収して染色屋さんに持って行き「チューリップ染め」とか「ネペンセス染め」とかの廃棄染ボディを作り、その上からグラフィックデザインを入れています。

デザインは台北のアートブックフェアで知り合った台湾人のDuckcrowと某大手シューズメーカーでデザインしてる御太刀にお願いしています。

2人とも僕の複雑なイメージをそのまま複雑な形にしてくれる強力なパートナーで、この2人には本当に感謝しています。

そもそもは自分が着たい『花屋が提案するストリートウェア』みたいな感じでやってて、今もそんな感じの花屋の作業着がイメージです。

服は好きだからこだわりは色々あって、ボディにはUSボディを使ってたりだとか、最近だとパターンをちゃんと引いて繊維会社と打ち合わせしながら生地も選んだ『農園フード』や『アームカバー』を作っています。

ロンTeeもなんだけど、基本グッズとかで儲ける気がないので「コスト5000円で作って5000円で売る」みたいな謎なことをしています。知り合いのデザイナーから「何してんの?」と言われますが、知らないです。

今ってほぼTシャツの原価ってわかってるじゃないですか?このボディは原価2000円くらいかな?みたいな。それをわざわざ知り合いとかに4000円、5000円で売るっていう気がおきなくて。

だってそんなん10枚売ってもせいぜい2~3万の利益しか出ないし、それよりも僕の作った服が色んな街を彷徨ってくれた方が面白いと思っています。

例えばジュリアングッズ珠玉の名作の「たぬきキーホルダー」って原価650円なんだけどそれを1000円で売ってて、1個売って利益350円。それをコツコツ売って利益を重ねようって言う気はさらさらないです。100個売っても3万ちょいの利益ですから 。

でも、たぬきキーホルダーは開運グッズなので「これをつけて夢が叶った!」というお客様の声が全国から多数届いています。

名古屋にあるTUMBLEWEEDとかは代表的な店で店主のコータローくんが通ってきた音楽とかファッションカルチャーを主軸にやってるから国内でも稀有な場所で。そこで展示したっていうのは自分の中で意味がありました。

展示のきっかけはコータローくんがインスタでフォローしてくれてて、ある時、僕がまだ面識のなかったコータローくんの店に女の子が転写してるアガベを送り付けたんです。

そしたら喜んでくれて、それがキッカケで仲良くなり「いつかうちで展示しよう」って話になって展覧会が実現した流れです。

TUMBLEWEEDでは『季節の花便り』って企画もしていて、これはまだ名古屋の花市場には出回っていない、少しマニアックな花農家を僕が紹介して取り扱ってもらっています。

第1回は『モンスターガーベラ』という、神奈川県の奇形のガーベラを紹介しました。

奇形っていうと字ズラ的には少し気味悪い印象を持たれがちなのですが、小さい頃に野菜のきゅうりとかウネウネ曲がってたじゃないですか?

今どの野菜も行儀よく真っすぐになってしまったのですが、花も一緒で形の良い優等生の花ばかりになってしまっています。

それでも産地ではどうしてもエラーの花や野菜が生まれてきて、それを見せちゃいけない感じになっているのですが、良く見ると1つ1つ個性があって愛おしく、それに価値をつけ知り合いのガーベラ産地協力のもと販売したのが1回目の企画でした。

今後もこの企画は定期的に開催していきます。

コータロー君も僕と同じで植物や花を愛でる気持ちも近いので、全てのテンションがスムーズです。

TUMBULWEEDもだし、大阪のYAMA STOREも鬼っこセンスが良く、大阪に行った際は必ず立ち寄って「どこの業者がいい」とか、互いに今注目してるものとかの情報交換をしています。

静岡のdoodle&hapticの横さんとか、その土地の面白いオルタナティブな人たちが面白がって僕に優しく接してくてるので、とても嬉しい状況です。

地方だからっていうのはもちろん関係なく、僕の好きな感度を持っている人達から良い影響を貰っています。

あとDuckcrowが今「台北」でギャラリーを作っていて、そこでも展示したいなって思っています。

ー 全国各地の農家さんのところに足を運ばれていますが、そこではどんなことをされていますか?  

大体周るところはJAと呼ばれる大きい農協さんよりも、個撰と呼ばれる個人でやってるところに出向きます。

花の生産者って2パターンあって、いわゆる音楽で行ったらメジャーかインディーかみたいなところで、メジャーっていうのは農協さんいわゆるJAって呼ばれる人達で、農機具とかみんなで貸しあい売り上げはみんなに落ちてくみたいな仕組み。                

JAって「同じ規格のものをみんなで作ろう」っていう考えだから、例えばきゅうりで言ったら25cmの規格のサイズをみんなで真っ直ぐ作ろう!がんばろう!っていう考え方です。

でもそういうのに嫌気が差すとか「俺もっとめっちゃいいきゅうり作れるのに」っていう人達がJAから出て、個人の農家になったりするのが個撰農家っていうインディーズの農家です。

後は代々農協に属してない農家もいます。

僕はそのインディー農家が好きで、やっぱりそれは10代の時に通っていたレコードを掘る感覚に近くて。

どのジャンルも掘ればマニアックになっていくように全国のインディー農家さんを掘っている感じですね。

花農家さんのとこに行くのが好きで、新しいものを見たりとか新しい品種の相談とか来年の作付けの相談に乗ったりとか産地指導みたいなのもやっています。

例えば「ミディファレノ」っていう胡蝶蘭の小さいやつとか、僕が一役買った今の花業界で流行っているヒット商品っていうのがあって。今めちゃめちゃ流行ってるのですが、僕が産地と協力して下地作りをしました。

ミディファレノの代表的な産地が鹿児島にあって、その産地さんから6~7年前に商品開発の相談に乗っていて「将来、今作っているミディファレノは流行るから色んな色のラインナップで作ってたほうがいい!」ってずっと提言していました。

産地の人達は「そうなんですかね。。」みたいな感じで半信半疑だったけど、僕の中ではちゃんとその理由があって。

7年前ってカラフルな草花でPOPな色合わせで構成する花束ってのが流行っていて、ただ草花系でやると、どうしても日持ちがしない問題点がありました。

 でもミディファレノはかなり日持ちして2〜3週間は持つし飾る意味ではコスパがめっちゃいいんです。

僕はそのミディファレノで、くすんだピーチだとか、淡いライトピンクとかの品種の選定に協力をしていました。

ちょうどその頃は、国産の良いプロダクトの評価が高まっていた時期で、例えば日用品でタワシとか陶芸もそうだけどMADE IN JAPANの高品質なものっていうのが見つめ直されてた時期。

「それを花でいうとなんだろう?」とずっと考えていて、その答えが古くから国内生産のある高品質な胡蝶蘭でした。

そういう裏付けもあってずっと力説してた「ミディファレノ」がやっとここ1年くらい超バブルがきて、毎週市場は花屋のオーダーに対応出来ない程オーダーが入るようになったんです。

農家さんも「あの時半信半疑ですいません。まさか、ここまで流行るとは」って言いながら喜んでくれて。

生産者が喜んでくれるのが僕は1番嬉しいので、これ以上の喜びはないですね。

 ー 作品をつくる時に心掛けていることはありますか?  

 強いて言うとお花の力とか植物が持っているそもそものポテンシャルや力強さに頼りすぎないことでしょうか。

例えば一輪だけバラが写真の中央にドンと写っている写真があるとするじゃないですか。それってなんか、その人の作品じゃなくて花の力やん!と思っています。

植物って無条件に美しいものだから、そこに頼りすぎるものは作りたくないと考えていて、そういう植物美の気配をいかに消しながらやるかっていう事は気をつけています。

デコラティブに盛っていく作業ではなく、いかに単なる植物美から距離をとっていくか。

程よく引いて着地点を考えていくマイナスのバランス作業です。

後は、いけばな草月流の3大要素「塊」「色」「線」で構成する場合もあります。  

そこらへんのテクを入れながらデザインがはまるギミックも入れたりしています。だって師範だもん。

そういう伝統もあるけど自分流に変えていいのが草月のいけばなの良いところ。

新しい素材や技術に乗っかってデザインする人は陳腐で安直な発想で、草月流は何を目指してるかっていうと既存のモノとかありふれたモノでその人の手に掛かると不思議とその人のテイストになってしまう「いけばな」を目指してるところです。  

新しい素材を使って新しいものが作れるのは当然なので、僕が扱うモチーフはチップスターやアロエそれからレンコンなど、慣れ親しんだものばかりです。

みんな勝手に僕のことアーティストって思ってるけど、僕は全然アーティストって自覚がなくてただの花屋だと思っています。

本当にいま僕がやっている、なんやかんやの表現はいち花屋としての表現としか本気で思ってなくて。          

僕の目的はお花業界の裾野を広げ、まだ花を買わない未開拓の層が植物や花に興味を持つきっかけを作ることです。  

今後、資材高・原油高などで高騰していく花にカリスマ料とかを付けず正当な価格で買ってもらって、農家さんにお金を落とし続けるっていうのが花業界全体の底上げになります。

ー お話をお伺いしていると農家さんとすごく良いコミュニケーションを取られているんだなと感じました。

そうですね。いち花屋で生産農家に製作した写真を送ったりとか「こういう装飾に使いました」とか、たくさんの情報をフィードバックしている花屋っていないと思います。

東京の洒落た花屋さんって花束を作り渡して終了で、お洒落な自分らをカマしたいだけなので花の生産者とコミュニケーションを図って既存にはない価値を生みだしたり、生産者がリアルに欲しい1本単価を聞き出したり、産地のストーリーも語れないでしょうし、術もしらないんじゃないでしょうか。

洋服のデザイナーが服を作っていく過程で生地や繊維の産地にこだわっていくように、その生産元や作り手に興味を持つのはモノを作る上で普通に興味が湧いてくることだと思っています。

花をファッションアイテムや雑貨感覚で取り扱い『花を売りたい』のか『自分を売りたい』のか、美しい花より目立とうとするアパレルかました花屋って今は多いでしょうね。「お前なんやねん」って感じです。

種や苗を圃場に植えて商品として出荷するまで、つまりはお金になるまでには品種によっては半年以上かかります。

生産者は休むことなく毎日朝からハウスに入り労力を掛けていて、僕らみたいに時間を見つけて気軽に温泉へ行き自然をバックにCHILL♡みたいな事は出来ない。

だからこそ無駄な労力が発生しないよう僕は売れないものを生産したり、産地があさっての方向に向かず今のニーズを含めた市場性に合うようにアドバイスをしています。

アパレル業界でいうと無駄で粗悪な服をこれ以上作らせないっていう感じです。

生産する上でかなりの時間とお金が掛かるからこそ、少しでも変な方向に行かないよう一役立ればなって感じでやっていて、そうやって色んな産地と協力しあうことで、全国の産地と信頼関係にありますし、もし僕が困ったらみんな助けてくれます。

それが結局回りまわって、お花業界のためになると思ってやってますし、国内の産地さんがいないと部屋を彩る可愛い花も飾れなくなるから、今後も微力ながら地道にがんばっていきたいです。

ー これから「こんなことをやれたらいいな」って思っている事はありますか?  

最近は東京ファッションウィークの最終日に近所の公民館で、地方の少し不細工ながらもどこか愛おしい洋菓子を150点以上かき集めた「秘密の洋菓子会」を開催しました。

この催し会は尊敬している作家でもありモノへのリサーチが狂気的でそこから精査するセンスも良い、ウータン、クリストファーローデン、ドーナツ太郎の4人でやっていて、この催し会はアーティストが個展やポップアップをするように僕らにとってのリサーチ報告会、展示会として捉えています。この「秘密の洋菓子会」の第2回を年内に出来たら良いなって思っています。

後は僕が作った作品をフォトグラファーの中村健太とコツコツ撮影していて。

それは誰かに見せるのが目的でもなく、制作への好奇心や探求心をキープさせる為に日頃のルーティーンワークとして行っていて、今後もそれは続けていきたいです。

正直「有名になりたい」とかもないし、今後も僕自身のスタンスはおそらく変わらないと思います。

まだまだ植物や園芸の知識を深めたいし、そういう好奇心の持続が作品作りのヒントになっています。

常にベースになるのはメンタルを整えて自分のペースで作り続ける事。それが重要だと思っています。

これから先もひたすらに植物と向き合い、制作し続けるプレイヤーで在りたいです。


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