創業1947年の歴史ある老舗コーヒー豆専門店『ミスズコーヒー商会』
今回は名古屋を代表する喫茶店『コンパル』など東海エリア中心にコーヒー豆を卸している『ミスズコーヒー商会』代表取締役、野入靖司さんにインタビュー。
DJやイベントオーガナイザーとしてもご活躍され、イベント出店などにも精力的に力を注ぎ、『コミュニティ』を彩るコーヒーと音楽への情熱を注ぎ続ける、野入靖司さんのROOTS OF STORY を是非お楽しみ下さい!
コーヒーの香りに包まれて育った子供時代
1974年、愛知県名古屋市でコーヒー豆専門店を営む家に生まれました。
家業の『ミスズコーヒー商会』は終戦後コーヒーがまだ高級品で日常に定着するか定かじゃない頃に祖父が立ち上げた会社です。
その後、高度経済成長期と喫茶店ブーム、愛知県に至っては独自のモーニング文化も栄えていたこともあってコーヒー豆の需要は高まり、先見の明と行動力のある祖父は喫茶材料卸にも着手し喫茶業界をサポートしながら業績をどんどん伸ばしていきました。
コーヒー豆屋を始めるときに祖父が手に入れた大きな焙煎機は今でも可動していて『ミスズコーヒー商会』ならではのビターな深みのある味わいを日々守ってくれています。
年代ものなのでこまめなメンテナンスが必要とされるんですが、焙煎士の熟練された技術で発火するギリギリまで炒る深く黒い豆はこの焙煎機じゃないと上手く表現できない。
その大きな焙煎機からはいつもコーヒーアロマの良い香りがしていて、僕はその香りに包まれながら育ちました。
祖父母、父・母・1歳下と5歳下の弟と一緒に暮らしていたのですが、自宅の一階が店舗だったので学校から帰ってくると従業員のおじちゃんおばちゃんが「おかえりっ!」と声を掛けてくれたり、通知表を持ち帰る日には「やっちゃん、どうだった?」とみんなから声を掛けられ通知表を見せて回るような感じでした(笑)
従業員と言っても僕にとってはみんな親戚のような存在。毎日温かい言葉と空気感に包まれた朗らかな環境で育ちました。
子供の頃はTVっ子で『ザ・ベストテン』を録画してチェックして気に入った曲はTVの前にラジカセを持っていって録音してテープに落として聞いたり、見よう見まねでマネをして遊んだりしてましたね。
子供の頃から直感的に「やりたい!」と思ったらすぐに行動に移すタイプ。
当時スーパースターだった『沢田研二』に子供ながらにすごいインパクトを覚えて。
あの煌びやかな世界観に魅了されて、TVでジュリーが歌いながらポケットからお酒を出し、口に含んで出してるのを見て「かっこいい!」って憧れて(笑)祖父のハットを被りジュリーのように口から水を出してめちゃくちゃ怒られたこともありました(笑)
年末の従業員を集めた忘年会などでは『イモ欽トリオ』を三人兄弟でやったり毎年弟達と何をやるか相談して練習したりしてましたね(笑)
根っからのお調子者だったのもあるんですが、誰かが喜ぶことを計画したりするのが好きで、きっと子供ながらに沢山の大人達が笑顔になってくれたり、褒めてくれたりすることが嬉しかったんです。誰かが笑ってくれることってそういうパワーを与えてくれるんだなと子供ながらに感じていました。
『コミュニティ』のあり方を学んだ学生時代
中学ではハンドボール部に入部。高校でもハンドボール部に入部したんですが中学からやってる人があんまりいなかったから、結構すぐレギュラーになれて(笑)そういうのってなんかモチベーション上がるじゃないですか?(笑)強豪校ではなかったんですが結構本気で打ち込んでハンドボールはやってましたね。
部活も引退の時期になって、その先の進路を考えた時に漠然とした東京への憧れと一人暮らしをしたい気持ちがあって、東京の大学を受験。でも見事に失敗してしまって(笑)
自分にとってはそれが初めての挫折で、大学を口実に東京へ行く気満々だったので大きく自分の未来設計が変わりました。
大学に行かないならそのまま家業を継ぐという選択肢もあったんですが、そういう覚悟がまだ決まらなくて。悩んだ末に名古屋に残りビジネスの専門学校に通うことにしました。
入学後は他校の生徒や同年代の社会人の仲間も交えたサークルをつくり、夏は海へ冬は雪山へとみんなで出掛けてました。
まだその頃は世間知らずで、なんでも素直に鵜呑みにしてしまうところがあって。
それとなく用事などで断るメンバーがいる時も「こうしたら参加できるんじゃないか?」とか都合や気持ちよりも「集まる」ってことにフォーカスしすぎて変な力の入れ方をしてしまう自分がいたんです。
賑やかなことや人が好きな自分にとって、一緒に楽しめないことがすごく寂しく感じて。まだ若かったこともあって多様性を頭で理解していても気持ちが付いていかない部分があったんだと思う。
今となればそれもすごくいい経験でサークル活動で人との距離感を学び「それぞれの心地良さってなんだろう?」って考える大きなきっかけになりました。
それと同時に時間を作ってわざわざ足を運んで参加してくれることが当たり前じゃないことやたくさんの遊びがある中、自分が企画した『遊び』を選んでもらえた事への感謝の気持ちも深く強く感じるように変わっていきました。
ビジネス専門学校を卒業後はデザインの専門学校へ進学。
学費がかかる事もあって言い出しづらいところもあったんですが、絵を描いたりクリエイティブなことが好きだった祖母が祖父と一緒に応援してくれて。「やりたいことや学びたいことがあるならやった方がいい」と味方してくれたお陰でデザイン専門学校に進むことができました。いつも側で応援し続けてくれた祖父母には今でも感謝してます。
デザイン専門学校では「ファッションにも詳しくて、絵も描けるし、音楽もやる」自分の才能をマルチに伸ばしている人にたくさん出会えて。
そういう出会いの中でDJをしている友達に声を掛けてもらったことがきっかけでクラブへ足を運ぶようになったんです。
初めてクラブで音を聴いたときは「音ってこんなにも体に響くんだ!」ってすごい衝撃を受けて!
普段聞けない音量でそこにいる人と音楽を共有する楽しさを体感して、めちゃくちゃ感動したんです。
それから何度か友達のイベントに通いながら少しずつ機材のことを教えてもらったり、今まで聞いていなかったジャンルの音楽に触れたりしながらDJの魅力にハマっていって、気が付いたら聴く側からPLAYする側へスライドしていきました。
デザイン専門学校を卒業後は看板製作の仕事をしながら、空いている時間はレコード収集したりイベントでDJをさせてもらったりと音楽に没頭しながら充実した日々を過ごしていましたね。
コーヒーも音楽も人と人とを繋いでくれるツール。
そこからコミュニケーションが生まれてコーヒーのある場所がコミュニティーになる。
DJを始めた頃は単純に自分の好きな音楽を大きな音で聴けることが楽しくて、自分が楽しむためのDJをしてる感じだったんです。少しずつ経験を積み重ねる中でBGMとしてのポジションやその時に求められている音楽を提供する柔軟性の大切さにも気付いて、改めて音楽の立ち位置の広さを考えるようになりました。
たくさんのDJ仲間との出会いの中で「こういうやり方もあるんだな」とか「自分だったらこうやるかも」とか色んなアイデアも湧いてくるようになって、自らイベントを企画しプレイヤーからオーガナイザーに立場が広がったことで「どうしたら来て頂いた方に楽しんでもらえるか」を常に考えて意識するようになりイベント全体のバランスも考えるように変化していきました。
とにかく一番意識していたのは「ホスピタリティ」の部分。
音楽に関わらずサークル活動の時からいつも頭の片隅にあったことなんですが、ここが膨らむとコミュニティ全体の心地良さに確実に繋がると思ったんです。
DJとして集まってくれた仲間達はそれぞれが音楽のことだけじゃなくファッションやグルメに詳しかったり、いろんなカルチャーの知識が深くて。彼らのそういう個性を生かしてこのグルーヴ感を伝えられたらもっと良いコミュニティに育つんじゃないか?って思いついて。
自分の出番をこなすだけのDJじゃなくて、そこに「アテンド」することをプラスする事で何かが大きく変わっていく気がしたんです。
イベントはやっぱり「音を聞いてもらいたい」っていうところからスタートしているので僕の提案に戸惑う部分もあったと思うんですが、みんな人を喜ばせることが好きなのですぐに順応してくれて。
心地良い空気感が広がれば1人で遊びに来てくれたお客さん同士が自然と仲良くなってたり、そこに集まったみんなで会話するうちに知り合いから仲間に関係性が育っていったり、そしてそこからまた繋がりが芽生えて新しいグルーヴが始まっていく。
そもそも、人が温まってないと伝わるはずの音楽も伝わらない。独りよがりに音楽掛けても意味がないんですよね。まずはそういう所から解していかないと動くはずのものが動いていかない。
思い描いたその光景が出来上がっていくのを見守れた時は感動的なものがありました。
集まってくれた人には音楽を楽しんでもらうこと以外にプラスアルファで新しい楽しみが生まれて、僕たちも来てもらえることでパワーをもらえる。
すごく良い循環が生まれていることを実感していましたね。
そんな風にイベントに力を注いで育んでいいた頃、プライベートでは大切な人と出逢い、彼女のロンドン留学を機に勤めていた会社を退社。自分も少し遅れてロンドンへ留学し、帰国後に彼女と結婚。
大きな支えを得たことで決意が固まり、家業を継ぐことを決めました。
会社の移転の話もあり、それにタイミングを合わせてSHOPのロゴデザインも僕がデザインさせてもらい一新。
三代目として「自分に何が出来るのか?」「自分だから出来ることがあるはず」と考える日々が始まりました。
祖父から受け継ぐ、老舗コーヒー豆専門店『MISUZUCOFFEE』。三代目の責任と重圧。
僕が家業を継ぐ頃は、祖父や父の時代とは景気の流れが大きく変化し日本経済に陰りが見え始めた頃。
世代交代し新しいことを始めて、今までの歴史に傷がついたり廃業になってしまうことにならないかと、祖父や父の偉大さを感じながら、これからと今までを守っていくことの大切さと難しさに悩んでいました。
そんな中、仕事と並行してDJやオーガナイザーとして音楽はずっとライフワークとして続けていたんです。
ある日、友人でもあり音楽仲間でもある山本雄平君(現MAISONETTEinc.)が「そういえば野入さんてコーヒー豆屋さんなんですよね?今度カフェを開業するんですがそのお店用にオリジナルブレンドって作ったり出来ますか?」って声を掛けてくれて。
それまでは自分の中であえてオンとオフを切り離していて仕事の話をそういう場でしないようにしていて。遊びの場で営業するのもなんか違うかな?と思っていたし、お金の話が出ると生々しい空気になりそうな気がして、あえて遠ざけていたんです。
でもこうやって「コーヒー豆屋」だってことを覚えていてくれて、数あるお店の中から選んで声を掛けてもらえたことがシンプルにすごく嬉しかったんですよね。
それってすごく幸せなことじゃないですか。もちろん喜んでお引き受けさせて頂いて僕の出来る限りを尽くし、最高のコーヒー豆をブレンドさせてもらいました。
その頃から一件また一件と有難い事に音楽が繋げてくれた仲間から声を掛けてもらえることが増えていったんです。
MAISONETTEinc.が運営する衣食住をテーマにした「TT” a Little Knowledge Store」や、新しいカルチャーを生み出し続けているタイカレー食堂「YANGGAO」、僕が主催するイベントにずっとDJとして参加してくれていた山中くんのアメリカンダイナー「City Dining Macy’s」、イベント出店や音楽フェスのケータリングをご一緒させて頂いている「ie gorico」、音楽仲間でもありSHOP主催のイベントにもいつも参加させていただいている「DAILY LUNCH STUDIO 」&「THE SESSIONS 」。
彼らからはいつも良い刺激をもらっていて。それぞれ自分の個性を活かして僕には出来ないことを成し遂げていて「カッコいいな!」って素直にリスペクトしているし、時代を創っているパワフルでエネルギッシュなお店のコーヒー豆を担当させてもらえることは僕自身にとっても刺激にも励みにもなっています。なによりも、プライベートだけじゃなくこんな風に良い関係のまま仕事でも繋がれることって当たり前の事じゃない。それに甘んじずに自分自身も成長を重ねながら最高のコーヒー豆を届け続けたいと思っています。
試行錯誤しながらですが、祖父から受け継いだルートだけではなく、自分らしく音楽とつながりながら新しいルートを開拓出来た事は何よりも大きな自信に繋がりました。
よく「苦労は買ってでもしろ」と言いますが、僕のスローガンは「苦労を買ってまでするな」
好きなことってどこまでいっても苦労じゃなくて努力に変換されると思っていて。
今自分が感じていることがまさにそれだなって思っていて、好きなことを本気で続けることの大切さにも気付かされました。
コーヒー豆は宇宙。さまざまなジャンルと繋がれるコミュニティーツール。
企業だけではなく個人の方にもコーヒー豆の小売販売もさせて頂いてるんですが、淹れたてのコーヒーを販売する事はしていなかったんです。でもきっかけを作って下さった方のお陰で直接コーヒーを飲んでいただけるイベント出店をさせて頂くようになって。今もコンスタントに続けさせて頂いてるんですが、そこで感じたことはコーヒーの異業種との相性の良さでした。
それぞれのジャンルがリンクすることで相乗効果の高まり方がやっぱり違うし、何よりも足を運んで来て下さるお客様の楽しみやワクワクにダイレクトにつながっていく。
音楽もコーヒーもコミュニケーションツールとして大きな役割を担っていて、コミュニティーを作る力を持っているし、いろんな可能性が広がる面白さがある。
そういうことにも気が付かせてもらえたことは自分にとって大きな財産になリましたね。
広告の役割も担うSNSで心掛けている事はありますか?
イベントの告知は必ず行うんですが、イベントが終わった後に必ずその日の空気感が伝わるものを綴るようにしています。
来てくださった方との思い出の共有にもなるし、来れなかったけど気にかけてくれたいる人達にもその日のムードをちゃんと伝えたい。そういう想いを込めていつも発信するようにしています。
嬉しかったのは大須にある「アニーのアイスクリーム屋さん」がSNS経由で「ミスズコーヒー商会」を見つけてくれて「コーヒーフロート用のオリジナルブレンドを作りたい」とお声掛け下さって。
実際にお会いしたらアイスクリームへの想いがギュッと詰まった情熱のある素敵な方で、僕自身もすごく刺激を受けながらアニーオリジナルのブレンド豆作りに携わらせて頂きました。
そんな風に嬉しい出会いが広がるのもSNSの良いところだなと思うので、これからも丁寧に発信していきたいと思います。
美味しいコーヒーとグッドミュージックを用意して。
今までを振り返ると、出会いに恵まれてるなと感じることがすごく多くて。
自分が苦手なことをスッとサポートしてくれる人に出会えたり、自分の知らない世界を教えてくれる人に出会えたり、楽しい時間を一緒に過ごしてくれる人に巡り会えたり。
結局は人と人との繋がりなんだなってすごく感じているんです。
そうやって側にいてくれる人や、集まってくれる人、遠くからでも気にかけてくれる人の期待に応えたいし、彼らの笑顔をずっと見ていたい。それこそが今一番の原動力になってる。
やっぱり僕は人が集まる場が好きだし、たわいもない会話を重ねられるような人と人との繋がる場所を築けたらいいなって思っていて。まだまだ先の話になるんですが、いつかのんびりとコーヒースタンドをやったりしてみたいなって思っています。
その場所が誰かのささやかな日常になれたら嬉しいし、来てくれた人に寄り添えるようなリラックスステーションになれたら最高ですね。
もちろん、美味しいコーヒーと最高のグッドミュージックを用意して。
新型コロナウィルス感染症対策について
『アルコール消毒』『三密の回避』『検温』『マスクの着用』など
感染症対策を徹底した上で取材・撮影を行なっております。