[ 021 Ceramic artist / KARUGANE AKARI ]

土そのものが持つ雄大な表情、ひとつひとつのゆらぎを慈しむかのように表現されたシルエット、そしてその豊かな色への感受性が放つ印象的な色彩感で、陶芸作品を製作している故金あかりさん。

今回はその陶芸作家、故金あかりさんにインタビュー

ミラノサローネ』に触発されインテリアデザイナーを目指した学生時代、パナリ焼きとの出会いや、独自の技法が生まれた時のエピソードなど、たくさんのお話をお聞かせ下さいました。

あるがままを受け入れながら、その素直な感性と美意識で唯一無二の作品を生み出している、故金あかりさんのROOTS OF STORY を是非お楽しみ下さい。

1995年、岐阜県岐阜市で衛生管理の会社を営む父とテキスタイルの仕事をしていた母、3歳上の姉がいる家庭に生まれました。

元々建築に興味があった父は高校生くらいまで建築の勉強をしてたみたいです。

絵を描くのもすごく上手で、母が父にスケッチを描くことを結婚当初にすすめて、それ以来似顔絵だったり景色だったり、いろんなモチーフを今も水彩画で描いてます。

広島で生まれた母は武蔵野美術大学を卒業後テキスタイルの仕事をしていて、仕事で岐阜県で働いていた時に父と出会い結婚し、それから父の会社を手伝っています。

母が美術館に行くのが好きだったこともあって、休日はよく家族で美術館に足を運んでいました。

家族旅行に行く時も、旅先にある美術館に立ち寄ったり、ピカソや有名な印象派画家の展覧会があるとよく観に行ってました。

鑑賞するだけじゃなく、幼稚園の頃から中学を卒業するまで姉と一緒にお絵描き教室に通っていて、ずっと描いたり工作したりっていうことが身近にありました。

絵を描くのも好きだったんですが、どちらかというと立体を作る工作の時間が楽しくて、その頃から手を動かして立体物を作ることが好きでしたね。

子供の頃は絵を描くのが得意な父と一緒に絵を描いて遊んだりもしてました。

いろんな絵画をたくさん観てきたんですが、印象派画家の色彩感が印象に残っていて。

それは今も色を使う時、潜在的に自分の中からふと出ているなと感じる時があります。


「 いつかミラノサローネへ 」インテリアデザイナーになりたいと思っていた学生時代。

中学生の頃からインテリア雑誌の『ELLE DECOR』を読み始めて、インテリアっていうものに関心が湧きはじめたんです。

毎年ミラノで開催される世界最大規模の『ミラノサローネ』っていう世界中のトップデザイナーが出品する家具の見本市があるんですけど、その特集記事が掲載されてる号は特にワクワクしながら読んでいて。

その頃から「いつかイタリアのミラノサローネに自分の作品を出してみたい」って考えたりしていて、「将来はインテリアデザイナーになりたいな」って思いはじめたんです。

進路を決める時もインテリアの仕事をするなら美大に進学するのがいいかなと思って、高校生になると美大受験に備えて、河合塾美術研究所へ通い始め、東京藝術大学を目指し、実技試験課題の石膏デッサンに悪戦苦闘しながら描き続ける日々を過ごしていました。

「ちょっと工芸興味ない?」ターニングポイントになった恩師からの一言

高校1・2年生の時は基礎を学んで、3年生になると受験校の試験内容に合わせてコースを専攻してクラスが分かれるんですが、専攻するコースを決める時期に、ある先生から「ちょっと工芸興味ない?」って声を掛けられたんです。

工芸を専攻する生徒が少なかったので、それで声を掛けていたのもあったかもしれないんですけど(笑)「この子、多分工芸もいけそうだな」って何か感じてくれて声を掛けてくれたのかなってその時に思って、それをきっかけに工芸の教室を覗きに行くようになって。

工芸の授業をのぞいてる時に、確かに『デザインする』っていうのもやっぱりいいんですけど、何か実際にモノがここにあったりとか、手でカタチを作ったりっていうのもいいなって感じて。

そういえば、お絵かき教室の時も描くより工作の方が好きだったなってふと思い出して。

「工芸もいいかもしれない」ってその時に思えて、工芸を専攻することにしました。

初めて粘土を触るきっかけになったのがこの時の工芸の授業で、そこから陶芸に繋がっていってたんですよね。

今思うと何気ない先生の一言だったんですけど、あのタイミングで工芸へと踏み出すきっかけをもらえたことは、今の自分にとって大きなターニングポイントだったなって思います。

ひたすら『基礎』と向き合った浪人時代。

大学受験の時に決めたいたことがあって。

まず現役受験は東京藝大一択に絞って受験することと、もし浪人するとしても1浪までって自分で決めていて。

結局、現役受験は上手くいかず、一年間浪人することになったんですけど、その時の1年間って今までの人生の中で一番しんどかった1年で。

朝9時から夕方までひたすら河合塾でデッサンや基礎をやって、それ以外の時間は筆記試験に向けてずっと勉強もしていて、とにかくしんどすぎて。

自分に足りない土台作りにとことん向き合い続けた時間でした。

今思い出しても、すっごくしんどかったんですけど、デッサンと基礎をちゃんとこの1年でやった事が今にも生きてるなって感じる時がやっぱりあって。

美術とか芸術活動とかって技術が一番大事なことではないと思うんですけど、でもベースがあるに越したことはないというか。

そのベースがあることでより表現しやすかったり、自分を助けてくれる力が大きいんですよね。

あの時は毎日がただただしんどいなっていう感じだったんですけど、土台をしっかり作れたことは今の自分の強みになってる実感があるので、本当に大事な1年だったんだなって思っています。

2度目の受験はもう浪人しないと決めていたこともあって、東京藝大以外に武蔵野美術大学も受験することにしました。

実は姉も母と同じ武蔵野美術大学に進んで卒業後は東京でファッション誌の編集をしているんです。

結局東京藝大には合格することが出来なくて、私も母と姉と同じ武蔵野美術大学へ進学することになりました。

ー 受験学科は最初から工芸を選ばれていたんですか?

そうですね「工芸」っていうのは決めてました。

でもやっぱり、まだちょっとインテリアやりたいっていう気持ちもあったので、インテリアの授業も受けてました。

割と優柔不断なところもあって工芸の中でも、陶芸・金工・テキスタイル・ガラスって素材ごとにジャンルが分かれるんですけど、どれにするかめっちゃ迷って。

とりあえず7割ぐらいなんですけど素材ごとに色々試したりてみたんです。

専攻はどうやって絞られたんですか?

先生に相談した時に「結局自分が一番楽しめるのを選んだ方がいいよ。ずっと集中して楽しめる方がいいから。」ってアドバイスをいただいたり、

人によっては進路とかその先も考えて専攻も選んだりするんですけど、なんかやっぱり土が一番気になってて。

土っていつでも形を変えれるんですよね。

例えば木工で椅子を作ろうと思ったら設計図描いて、作り始めた時に「ちょっとここ変えたいな」って思っても、設計図から戻すの大変だなって思って(笑)

そういう、ちょっとめんどくさがりなところもあって(笑)

木工はミリ単位の設計図があって結構きっちりやっていかないと出来上がらないし、硬いものじゃなくて柔らかいものの方が向いているなと思ったんです。

ガラスを触った時も、もうめちゃくちゃ硬くて。

ちょっと形を変えたいのにすごい時間かけてヤスリで削り続けたりとか、「ずっとこんなことやってんの?」と思ってしまって(笑)

色を使うこともやりたかったんで「テキスタイルもいいな」って思って、ちょっとやってみたんです。

でも、テキスタイルにいったら色彩感覚が良い人たちしかいなくて「無理だ、ここではやっていけない」と思ってしまったんです。

できるだけ一番になりたいというか(笑)なんかちょっと負けず嫌いなんですよね、私(笑)

「この色彩感覚が豊かな人たちには勝てないし、ここでは一番にはなれないな」と思って、こんな感じで消去法というか、引き算を重ねて自分に合うものを選んでいったら陶芸があったっていう感じなんです。

陶芸って色彩感覚だけが重要じゃなくて造形的なこととか、自由度が高いなって思って。

土と色彩で何かできたらいいなって思って陶芸を選びました。

大学時代の私の不満が2つあって(笑)

釉薬の勉強をしたかったんですけど釉薬の世界って無限なんですよね。

掛け合わせる原料の組み合わせによってキリがない世界なので先生も「もし気になるんだったら教えるよ」くらいな感じで、深く追求する授業がなかったんです。

オブジェとか大きいものを作ってみたかったんですけど、基本的に授業も器のことをメインでやる感じであまり出来なったんですよね。

卒業制作は何を作るのか自分で決めれたので、学生の自分がこの歳で土鍋を作るの良いかもって思って、器の中でも大きい土鍋を作ることにしたんです。

土鍋っていっても昔ながらの渋い土鍋じゃなくて、私と近い年世代の人も楽しめるような、ちょっとモダンで現代の生活にフィットするデザインの土鍋を作ろうと思って制作をはじめました。

先輩に教えてもらった良い雰囲気の釉薬のレシピを参考にしながら釉薬のテストピースをたくさん作って、オリジナルの釉薬を準備したりしてましたね。

その時の土鍋は色も白とかピンクっぽい曖昧な柔らかい色味なんですけど、均一に同じ色に仕上がるのではなくて、釉薬が流れて自然な表情のある感じで出来上がって。

そういう、ちょっと色が混ざった感じが好きなんですよね。

作為的ではない自然に生まれた偶然の中にある美しさに惹かれるところがあるので、そういう表情が生まれる釉薬を選んで土鍋を制作しました。

「作家になりたい」大学卒業後、多治見意匠研究所へ。

大学3年生くらいから周りが就活を始めたんですけど、就職するっていう感覚がピンとこなくて。

家族に相談した時も就職を勧められたんですけど、その時には「作家になりたい」って思っていたので就職ではなくて、もう少し勉強できる時間を作ろうと考え始めていました。

このまま武蔵美の大学院に進むのは私立でお金もかかるから最初からその選択肢はなくて、ちょっと引きずってた部分もあったのかもなんですけど(笑)東京藝大の大学院を受けようかなと思っていたんです。

そういうタイミングの時に大学の研究室に意匠研究所のパンフレットがあるのをたまたま見つけて。

意匠研究所っていうのは岐阜県多治見市にある『多治見市陶磁器意匠研究所』の事で、美濃焼の産地でもある多治見市で『やきもの』に携わる人財の育成に取り組んでいる公設の試験研究機関なんですけど、

その時初めて、陶芸を学ぶために大学院へ進む以外の選択肢があるんだって知って、意匠研究所以外のところも含めて色々と探し始めたんです。

他県にも同じように市が運営してる陶芸の学校もあって見学にも行ったんですけど、意匠研究所は先生も含めてオブジェや大きいものを制作されていて、釉薬の実習もしっかりあって、大学で不完全燃焼だった部分が消化できそうだなって思ったのと、

意匠研究所まで多治見駅から30分くらい歩いたんですけど、その時に川や山が身近にあって自然豊かなところとか、商業施設もちゃんとあって生活しやすそうなところとか、多治見の町が持つこの雰囲気のバランスがいいなって思って意匠研究所に行くことを決めました。

実家が岐阜市なので大学卒業後は一旦実家に帰ったんですけど、いざ通学し始めると多治見まで片道2時間くらいかかってしまって、「これはちょっとしんどいな」と思って半年後くらいには多治見に引っ越しました。

意匠研究所ではラボコースで3年間研究生として学ばせていただき、大学では轆轤での製作が多かったんですが、他の手捻りや型を使った製作方法も学べて、すごく充実した時間になりました。

ー意匠研究所で学び始めて感じたことはありましたか?

大学の時に不完全燃焼になっていた釉薬の勉強をしたいと思って意匠研究所を選んだんですけど、多治見って産地なので土屋さんも道具屋さんもたくさんあるし、釉薬を売ってるところもいっぱいあって。

産地っていう環境なので釉薬もたくさんの種類がすぐ買えちゃうし、もし違う人が私の釉薬と似たようなのをかけたら、おんなじ雰囲気のものが簡単に作れちゃうんだなって思って。

なんかそれってオリジナルティーが無いなって感じたんですよね。

同じくらいのタイミングで『岐阜県セラミック研究所』っていうところが多治見にあるんですけど、そこに15万点という規模で釉薬のテストピースがあって。

展示されてるテストピースにQRコードみたいなのが付いていて、簡単にその釉薬のレシピが取れるんですよ。

大学の時に細かく調合しながらテストピースをたくさん作ったりしてたけど「苦労してレシピかけなくても調合もすぐわかるし、こんなに簡単に買えちゃうんだ」って手軽に手に入ることの虚しさのようなものを感じてしまって。

もう既に研究され尽くしているのを目の当たりにして釉薬に対するモチベーションが変わっていったんです。

その頃に、自分にしかできないようなものを作りたいって考え始めました。

パナリ焼きとの出会い。『土』そのものが放つ、包容力と豊かさ。

少し遡って大学4年生の頃の話なんですけど、研究室の研修旅行で焼き物の産地『滋賀』と『三重』と『岐阜』の3県を巡ったんです。

ちょうどその頃、三重県にある『万古焼ミュージアム』で『パナリ焼き』っていう19世紀中頃まで沖縄で作られていた土器の展示をやっていて、みんなで観に行ったんです。

それまでそんなに強く土に興味がなくて、どんな土でも形が作れたらいいかなぐらいの感じだったんですけど、でもこの展示を観て、素朴なんだけど土そのものが持つ包容力や豊かさとか、土そのものが持つ良さをすごく感じて。

その時のインパクトが、ずっと自分の記憶の中に残っていたんです。

意匠研究所に入ってからも常に課題があって自由制作ができる時間っていうのがなかなか無かったんですけど、

一年生が終わった後の春休みに自由に製作する時間ができたので、その時にパナリ焼きのことを思い出して作ってみることにしたんです。

まずは形から真似して作ってみて、質感もこの質感が好きだったので、こういう質感になるにはどうすればいいかを考えながら色々試し始めたんです。

その時に化粧土っていう釉薬のように塗布する泥状のものがあるんですけど、それを使ったらこの雰囲気が出せるかも?って思って先生に相談したら「ここにも化粧土があるからそれ使っていいよ」って言われて、早速その化粧土を確認しに行ったんですけど、蓋を開けてみたらカッピカピに乾いてて使えなくて(笑)

「やりたかったら作らなきゃいけないわ」って先生に言われて、どうしようかな?イチから作るのちょっと面倒くさいなって思いながら、ふと隣の教室を見たら磁器の液体を型に流む鋳込み用の泥がタンクに回ってたんですよ。

その泥を見た時に「これでいけるんじゃない?」って思って試してみたら、良い感じに出来たんです。

今まで詳しい用語を並べて説明しても分かりずらいかなって思って、あまり自分のやり方を説明してこなかったんですけど、まず化粧土はこういう感じでドロドロで。

この化粧土に自分で顔料などを混ぜて、それを私の場合はスポンジで取ってバランスをみながらポンポンとつけていってます。

釉薬の場合は意図せず窯で勝手に溶けて色が出てる部分が多いんですけど、化粧土は自分で決めたところに色がのるので、自分の感覚で色彩を広げられるところが気に入ってます。

泥ならではのこういう色彩感やテクスチャー感を出せるのは化粧土だからこそ表現できるのかなって思っていて、この頃から釉薬から化粧土へシフトしていきました。

私の場合は土素材の陶器に磁器素材の原料に顔料を混ぜてアレンジした化粧土をのせていて。

教科書でいうと陶器は「土」、磁器は「石」が主な原料で出来ていて、原料が違うので組み合わせが違うと焼いた時に縮むパーセンテージが違うから剥離したりする可能性もあって。

でもやってみたら、そういう事もなく定着してくれて、今のスタイルのベースになっていきました。

なので、ちょっと面倒くさがりな自分の性格と、たまたまの偶然が重なって生まれやり方なんです(笑)

『野焼き』という窯ではなく土器を焼くときのように野原で焼き上げるやり方をやり始めたのもこの頃で。

多治見って野焼きの作家さんがいたり、陶芸仲間の友達に誘われて、みんなが野焼きする時に混ぜてもらったのがきっかけなんですけど、野焼きならではの土本来の色と炭化した色の出方もすごく良いなって思って。

今も野焼き作品は制作してるんですけど、野焼きでしか出せない自然が生み出す表情になんともいえない豊かさを感じています。

初めての個展とアトリエでの制作スタート。

2020年の11月、意匠研究所在学中に個人として初の個展『土鍋展』を多治見にある『山と花』さんで開催し、同じ月には北京で企画展、東京でグループ展に参加させていただきました。

この頃から国内外、様々な場所での展示会をさせて頂くようになり、意匠研究所卒業後、製作するための工房を探し始めて。

そのタイミングで個展をさせていただいた『山の花』さんの花山和也さんとデザイナーの石井一東さんが運営している、多治見にある銀座商店街の再生プロジェクト『at tajimi 01』のレンタル工房を2021年9月からアトリエとしてお借りすることになり、

10月には石井一東さんからお声掛けいただき共同制作した『壁掛け作品』を発表し、生活の道具としての陶芸からアート性のある陶芸作品の制作もさせて頂くようになりました。

ー制作する際は形と色のどちらを先にイメージされて制作されていますか?

形からですね。

絵画じゃなくて立体を作ってるので、色がどれだけ綺麗でもやっぱり形が良くないとダメだなって思っていて。

なので、良いなと思える形がまずあって、それぞれの揺らぎに合わせた色や質感を合わせて作っています。

色のテーマを決めることは時々あるんですけど、やっぱりそれは形がちゃんとあってこそ。

だから、同じものがないところも面白さで、そこが陶芸の良さなのかなと思っています。

ー 作家として活動を始めた当初から制作されてる『壺』は故金作品の代表作ともいえると思うのですが、制作する時に心掛けていることはありますか?

まず形に関していうと基本的にはシンプル。あんまりやりすぎてない方が好きですね。

何百個と作っても、ちょっとずつ形が違ったりとか、全部ちょっと違う方が好きで。

変化を加えながら軌道修正ではないですけど、ゴールがカチッと決めすぎない方がわりと作りやすかったり、イメージしたものにそっちの方が近道で結構辿り着きやすい感じなのかな。

轆轤で引くと左右対称に作れるんですけど、ちょっと揺らぎがあったりとか、やり過ぎない程度にちょっとこう触れてるような方が好きです。

色に関しては、最近はそんなに印象派をめちゃくちゃ考えてるとかはないんですけど、大学生の時とかは印象派の重なったり混ざっていく色彩感が好きで、それはちょっとルーツにあるのかも。

あとは同じトーンが続きすぎてもなんか退屈な感じがするので、色味として結構強い青もポイントになる感じで入ってたりとか、そういうアクセントがあるのは好きですね。

形もそうなんですけど、やっぱりやりすぎないっていうのと、誇張しすぎないというのはいつも気をつけてます。

ナチュラルっていうよりはシンプル。個性というよりはらしさ。

すっきりしているけど何か惹かれるものがある、そういうところを大事にしながら制作しています。

壺に限らず、器も割と自分の中では用途性っていうところはそんなに大事じゃなくて、作りたい形とか雰囲気とかを重視して作ってます。

なので壺を花器として使っていただいたりとか、決まった使い方以外の広がりがあるほうが窮屈さがなくていいのかなって思っていて。

手に取ってくださった方が、心地良くのびのびと使ってくださると嬉しいです。

「ゆらぐなら、ゆらげばいい」受け止めることで育まれる個性。

制作する時に大切にしてるのは作為的になりすぎないこと。

元々「土」を選んだのも最初から計画立ててきっちり進めていくより、臨機応変に土の変化に合わせて軌道修正できるところが自分の性格にあっていたから。

なので、かっちり計算してっていうことはあまりしなくて。

例えば型をベースにして作る時も型そのままのものではなくて、手を加えたりして形自体もその時に生まれる「ゆらぎ」を大切にしています。

焼いた時に変化するその形も「こういう感じなんだ」って面白さがあるし、全てがきっちり予想通りじゃないところも土の魅力なんじゃないかって思っていて「ゆらぐなら、ゆらげばいい」って思ってるんですよね。

自然に生まれる変化を受け止めて、そういうところに面白さを見つけて活かしながら制作してます。

他にも大きい壺は重さなどで大きく変形したり、焼いた時にひび割れが出来たりするんですけど、自然に生まれたそのひび割れた線がかっこいいなって感じていて。

ひび割れた表情も土のかっこいい姿だし、そのラインを活かして金継ぎをした作品の制作もしています。

金以外にも、銀だったり錫だったり、後は真鍮でも金継ぎしたりしているので、時間と共に経年変化を楽しみながら育っていくのもいいなって思っています。

ただ制作するサイズが大きい時は完成するまでに1年以上かかるんですよね(笑)

そこはちょっと大変なんですけど、大きい壷って作ってる時も楽しいし「大きい」っていうだけで、なんかテンション上がるんですよね。

ー 制作されている時に手放したくないなっていうものも生まれたりすると思うんですけど、そういう作品はどうされてますか?

本当は手元に置いておきたいんですけど、展示会としてこれがそこにあった方がいい展示会になるので持っていきます。

でも私がいいなって思ってるものと、ご来場された方やギャラリーの方がいいなって思うものが一致してる時と全然そうじゃない時もあって、それもまた面白いですよね(笑)

展示会って基本的には器が並ぶので、その国の料理に合わせることをイメージされて皆さん手に取って頂くことが多いと思うのですが、国によっても選んでいただく器の好みが分かれたりする時もあって。

例えば韓国に行くと白っぽい器が人気だったり、その国の料理との相性や色の好みとか、食文化が変わってくると求めてるサイズ感も形も変わってくるので、その国々と自分との相性の和を感じることが出来るのも面白いです。

茶器の製作を始めるきっかけになったのは滋賀県にある『季の雲』さんという中国茶の教室もされているギャラリーでお声掛けいただいたのがきっかけで。

季の雲』さんの中国茶教室にも2年前くらいから通わせて頂いていて、今も滋賀県に通いながらお茶の勉強も続けています。

中国茶っていわゆる日本の茶道ほど敷居が高すぎなくて、作法は一応あるんですが気軽でおおらかなんです。

そういう中国茶の世界観も好きですし、日常の中にも取り入れやすいので毎日のように家や工房でも淹れています。

ー 故金さんの中で、今後の展開についてイメージしていることはありますか?

意匠研究所を卒業してから、結構な数の展示会スケジュールを入れていて。

個展もグループ展も含めて一回の展示に200・300点とかを製作して持ってくので、体力的にもしんどくて。

最近は展示会の数を減らして一回のボリュームをもうちょっと上げて充実感を持ちたいというか、やっぱり数を作るためにっていうところで納得してない作品が生まれることもあって。

だからといって極端に展示会や展示作品数を減らしたとしても、全部が全部100%完璧に満足がいくものを出せるかって言われたら出せないんですけど。

でもやっぱり数が多すぎて余裕がないのはちょっと良くないなと思っているので、ペースを落として一個一個の製作にもっと時間をかけて集中して作れるように、これからシフトしたいなと思っています。

この1・2年とか近い年単位で見ていくと、今の状態でどんどんやっていけばいいんですけど、5年後、10年後、15年後、その先を考えたら今のうちにアートの方でもちょっとトライしていきたいなと思っていて。

自分の中での体感の話になるんですけど『美術』を全体的に世界で見ると『工芸』って結構下のとこにあるんですよね。

そのピラミッドでいうと、絵画や彫刻って上の方にあって、器というのはなんとなくそのジャンルからちょっと下に見られてるみたいなところがあるように感じていて。

これまでは工芸のギャラリーでずっとやってきたんですけど、その中でやりたいことがどんどん明確になってきているんです。

今までアートフェアにも出したことがなかったし、アートの方向でのトライがあんまりできていなかったんですが、今年の11月に金沢で開催される『KOGEI Art Fair Kanazawa 』っていう工芸のアートフェアがあるんですけど、それに参加させて頂くことになって。

やっぱり作品として価値を上げていこうと思うとアートの方向でもトライしていかないと価格も含めて、なかなか評価が上がっていかない。

でも器を作るのも好きだし、オブジェのような大きい作品も作っていてすごく楽しいから、いきなり全部をアートの方にシフトするのは難しいので両方をやりつつ、ちょっと様子を見ながら今後はアートの方でも活動の幅を広げてやってみようと思っています。

絵画のような陶芸作品を作ってみたい。

2021年頃から壁掛けの作品を作り始めたんですけど、その頃から改めて海外絵画への作品や展示会を観に行き出したんです。

インスタとか写真上で見て「すごい素敵だな」と思って観に行くんですけど、実際に見るとなんか若干の物足りなさを感じることがあって。

焼き物と比べているからそう感じるのかなって思っていて、やっぱり一回窯で焼いているから焼き物自体すごいエネルギーが強いんだなっていうのを感じたんです。

絵画もすごく素敵なんですけど私が今から絵画を始めるのもなんか違うし、そうじゃなくて今の私が作るから成立するものじゃないとやる意味がないなって考えていて。

今イメージしてるのは、焼き物で絵画を作れたらいいなと思っていて。

今の自分ができることというか、自分のフィルターを通して焼き物の中で絵画を考えて作ってみたいなって思っていて、壁額装とかした中に焼き物でちょっと絵みたいなものを作りたいなっていうのが最近やりたいことです。

やっぱり立体ってすごくいいなって思うんです。影に光と影が生まれる良さもあるし。

後は、金継ぎを始めて漆も使うようになった事で、陶器に漆を塗るっていう技法もやってみたくて。

歴史でいうと土器縄文時代に土器ができて、そこから釉薬が生まれるまでの間に窯ができて、高温で焼けたから釉薬が成立してるんですけど、その高温まで温度を上げるようになる前は漆を塗ってコーティングの代わりにして強度を出していたみたいで。

その時代から漆と陶器が一緒っていうのも感じるものがあるし、漆も一つの素材として陶器と組み合わせて面白いことできたらいいなって思っています。

初めてのチャレンジもあって関東の方で個展があるんですけどギャラリーの方から「今回は白黒でお願いします。」っていうお話をいただいて。

今までの作品は色をたくさん使ってきたんですけど、白黒では今までやったことがなくて。

多分野焼き作品になると思うんですけど、色がシンプルになってくるんで良い形のものを作りたいし、やったことがないことなので、ちょっとやってみようかなと思っています。

とにかく今、もうやりたいことだらけなんです(笑)

今までも中国や台湾、韓国などのアジア圏での展示はさせていただいたのですが、これからもっと海外の展示会も増やしていきたくて、まだ開催したことがないヨーロッパやアメリカでの展示会もやっていきたいと思っているんです。

「海外にも出ていきたいな」というのは昔からなんとなくあったんですけど、ずっと英語が話せなかったから空港の手続きすら怖かったんです(笑)

1年ちょっと前に結婚した夫がフランス人なんですけど、出会った頃は翻訳アプリに頼りきりでスマホがないと会話ができなかったんです。

でも、だんだんそれが煩わしくなってきて少しずつ英語で話し始めたら慣れてきて、今は英語で会話できるようになって。

海外からも声を掛けていただく機会も多いんですけど、今までは仕事のメールが英語で届くだけでも嫌だったんです(笑)

だけど夫のおかげで英語が身近なものになって、そういう抵抗感も薄れてきて。

今年はオーストラリアで初の個展、そして来年はフランス帰省に合わせてパリでも個展をする予定なんです。

ずっと憧れ続けたミラノサローネにも行くことを予定しているので、その時感じた刺激がこれからどんな風に作品表現として広がっていくのか、今から私自身すごく楽しみにしています。

場所の話でいうと、最初に借りた工房から2年くらい前に今制作している工房に引っ越しをしたんですけど、少しずつ手狭に感じるようになってきて、次の工房を探しているんです。

大きい作品を作るための窯が置けて、実際に作品を手に取ってもらえる常設展示できるギャラリースペースもあるような、そういう場所を探してるんですけどなかなか見つからなくて。

土も材料も今はどこでも配送できると思うので、ちょっと思考を柔軟に広げて海外で滞在制作したり、短期滞在でいろんな場所で作るのも楽しいかなと思ったり。

どこに辿り着くかはまだわからないんですが、まだまだやりたいことだらけなので、それをひとつひとつ実現できていければいいなと思っています。

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