スパイスやハーブ、ナッツなどがたっぷり入ったヴィーガンクッキーなど、米粉を使用した「おやつ」を作っている『焼菓子モモ』
今回は『焼菓子モモ』として活動されている、長谷川このみさんにインタビュー
お菓子作りを始めたきっかけやヴィーガンに絞ってお菓子を作り始めた時のお話など、たくさんのお話をお聞かせ下さいました!ぜひ『焼菓子モモ』長谷川このみさんの ROOTS OF STORY をお楽しみ下さい。
ー大好きな『コジコジ』に出会った子供時代ー
1986年、愛知県名古屋市生まれ。高校の体育教師をしている父とピアノの先生をしている母、年子の兄がいる家に生まれました。
兄は明るくおちゃらけた感じのお喋り大好きなムードメーカータイプだったんですが、私は反対に大人しい子供で。積極的に自分から話題を振ったり喋ったりするタイプじゃなくて、聞き役にまわる事が多かったですね。
遊びも穏やかで淡々と自分のペースで過ごすような事が好きで「お絵描き」や「パズル」をすることが好きでした。
父が読書好きで子供の頃から読書を勧められていて、きっと文学的な小説の事を父は指していたと思うのですが、私は読書といっても少女漫画を読むのが好きで「なかよし」や「リボン」の発売を毎号楽しみにしていました。
当時リボンに連載されていた「ちびまる子ちゃん」や「コジコジ」などの『さくらももこ』作品に夢中で、特に「コジコジ」は自分の中での理想が詰まった存在。
私の心の中に大きく存在していて、純真無垢な中にある毒や何者にも左右されず動じない感じ、そして鬱陶しいぐらいのピュアさと素直を飛び越えた何事も見抜いている様な鋭い言葉に憧れを抱いていて、そんな風になれたら良いなっていつも憧れています。
でも実際は、子供の時に叱られて私が外に出されたら「そろそろ中に入れてあげようよ」って兄は母に言ってくれてたのに、私は兄が出された時に「裏の鍵もちゃんと閉めた?」って母に確認を入れるような感じのタイプで(笑)優しい兄とは違い、ちょっとブラックで「ちびまる子ちゃん」みたいな子供でしたね(笑)
子供の頃から「大きくなったらなりたいもの」とかが本当になくて。
それどころか自分が大人になるってことが全く想像出来ず、自分の将来について考える事から遠ざけているような感じでした。
兄はビジョンがしっかりしていて行きたい高校とか全部自分で調べて動いていたんですが、そういう自立心みたいなものが自分の中にずっと芽生えてこなくて。
進路を決める時も周りが「これいいんじゃない?」って提案してくれたものにずっと乗っかってる感じでした。
ー60年代カルチャーにのめり込んでいく大学時代ー
大学生になって当時付き合ってた彼や友達の影響で60年代カルチャーが気になり始めて。音楽でいうと「モッズ」や「フレンチポップ」を好きになっていったんです。
元々中学生くらいから『HYSTERIC GLAMOUR』『SUPER LOVERS』『BETTY’S BLUE』の個性的なファッションが好きだったんですが、その頃はモッズイベントにTwiggyみたいにミニスカートに編みタイツを履いて、つけまつげも上下2枚ずつ付けて、60年代ファッションに身を包んで出かけたりしていました。当時のバイト代はほとんど古着に姿を変えていく感じでしたね(笑)
モッズイベントなどで同じようなカルチャーが好きな人にもたくさん出会えて、あの時引き寄せられるように出会えた人との交流が続いているんですが、その時に出会った人は今も面白い活動をしている方も多くて。
多感な時に刺激的で感性豊かな人達に出会えたことは素直に幸せだなって思っています。
ファッション以外にも「新しいモノ」にはない佇まいやストーリーのあるヴィンテージの世界にも心惹かれて。出会った時のストーリが新たに加わって、そこからまた自分だけのオンリーワンアイテムに育っていく感じが愛おしくて。今もヴィンテージ家具や雑貨が好きで、出店する時の什器や小物もヴィンテージのものを使っていたりします。
大学卒業後はリユース・リサイクルショップに就職。
正社員として勤める中で期待をしてもらえる嬉しさと力不足の自分との狭間で悩んでしまう事もあったんですが、嫌なことばかりではないし、この仕事の楽しさも知っているから出来る限り頑張ろうと全力で毎日を過ごしていました。
そんな日々を重ねる中、知らず知らずのうちにキャパオーバーするほど頑張り過ぎてしまっていたようで、仕事の疲れが体に響いて扁桃炎になってしまって。
40度を超える熱が頻繁に出るようになって「もう限界なんだな」とやっと頑張り過ぎていた事に気付いたんです。
「これ以上続けることはもう出来ないな」と気持ちを固め、その頃同じ職場で出会ったパートナーとの結婚の話も進んでいた事もあって結婚を機に退社することに決めました。
ー「お菓子作り」は、いつ頃からされていたんですか?
小さい頃から食べる事がすごく好きで、体調が悪い時に薄味の消化の良い食事を用意してくれていても「いつも通りのご飯が普通に食べたい」と母を困らせる程、どんな時も食欲のあるタイプでした(笑)
作る事も好きで小学生の頃からお菓子作りを始めたんですがクッキーなどの焼き菓子を焼いたり、友達の誕生日にケーキを作ったりしていましたね。「美味しい!」と言って喜んでくれた事が嬉しくて、その笑顔が見たくて一生懸命作ってました。
誰かに教えてもらったりはせず、お菓子作りは本を参考にしながら作っていましたね。自分なりに少しアレンジを加えたりして創作することも含めて楽しんました。
お菓子作りは子供の頃からしていたんですが「料理」はほとんどした事がなかったんです。
でも大学生の時に一人暮らししてる友達の家に集まった時に料理をしてみたら美味しく出来て。そしたら「料理ができるキャラ」みたいに周りが仕立て上げてくれて、それが嬉しくて料理を始めるきっかけになりました。
ー米粉との出会いー
結婚後はしばらく家庭に入って少しゆっくり過ごしていたんですが、日常的に料理を作る事が増えて台所仕事が徐々に馴染んでいくなかでお菓子作りも始めて「おかしの長谷川」っていう屋号で知人のお店やイベントに「焼菓子」を並べてもらったり、出店したりしていました。
その頃「グルテンアレルギー」っていう言葉をよく耳にするようになって、自分の顔に吹き出物が出来たり、肌荒れしたり、便秘にもなったりしていたので「小麦あんまり合ってないのかな」って感じていて。
小麦のものは好きなんだけど自分が作ってるものが自分の体にあってないなら、それを作り続けるのはなんか嫌だなって思った時に出会ったのが「米粉」でした。
性格的に凝り性な所もあったり、理論的な事をしっかり理解してから手を動かしたいタイプなので、愛知県で有名な米粉料理の先生の教室に通って「米粉マイスター」の資格を取得しました。
それから、しばらくした時に「認可外保育園のおやつを作って欲しい」っていうお声掛けを頂いて「経験の為に挑戦してみたいな」と思ってトライしたんです。
これが私の米粉の一番最初の仕事で半年程の短い期間だったんですが、米粉の蒸しパンとかケーキやクッキーの製造をしていました。
結婚して3年した頃、妊娠・出産・初めての子育てと自分よりも大切な存在が出来て、それまで以上に身体の事や健康の事への意識が高くなり、調味料や食材、食べ物全般に対してすごく神経質になっていったんです。
極端に0か100かみたいな感じに思考が凝り固まってしまい、性格的にも聞き流せないタイプだから「あれはダメ 」「これはダメ」っていう情報や言葉を素直に全部受け止めて、すごく頭が硬くなって気持ちまでガチガチになっていって。
娘が生まれてから西洋医学に対しても不自然なものを感じて、病院に行ったらワンパターンで薬を処方されたりする事にも、0歳や1歳の子に対しておもむろに解熱剤を使ったりする事に本当に必要なのかな?っていう疑問が付き纏うようになって信用出来ない気持ちのまま診察を受けたりしていました。
この頃、自然治療や自然派な育児に興味があったので西洋医学のいわゆる病院というものに違和感を抱いて、反発とまではいかないけど、そういうのをすごく感じて苦手意識のようなものがだんだんエスカレートしていったんです。
思考が極端になりすぎてしまい、その波動を受け取ってしまったかのように風邪や病気など全くかからなかった娘が突然「熱性痙攣」を頻繁に起こすようになって。
その時ばかりは救急車を呼ばないと命に関わるので大きな総合病院で治療を受けたんですが、入院した時に先生や看護師さんが娘が良くなる為に全力で対応して下さっている姿を目の当たりにして、病院に対して否定的だった気持ちがするすると解けて「私すごい間違ってたな」って頑なになり過ぎていた事に少しだけ気付く事が出来たんです。
その事があってから、力を入れなくて良いところにまで執着することをやめてみる事にしました。
しかし、そういう事があった後に通った漢方の先生が
「材料が小麦じゃないお菓子は体に一見良いものに見えるけどお菓子はそもそも体に必要ない。『米粉』だろうが『小麦』だろうが、『お菓子』は『お菓子』。結局「お菓子」だから食事と違って必要なものではない。そこは排除できるものだよ。」ていう話をされて。
その言葉を素直に間に受けてしまい「娘が体調崩すなら私のお菓子を食べない方がいいし」って結構閉じてしまって。
頑張るモチベーションになっていたものが全部崩れて、一生懸命やる意味が自分の中でなくなってしまったんです。
極端な思考はなかなかすんなりと変わることもなく、良かれと思ってやっていたものが根底から覆された事にも立ち直れなくて、そこから1年以上お菓子作り自体をやめてしまいました。
ー身体の為から、心の為のお菓子作りー
春日井で『CAWA』というcafeを営んでいたともちゃんという友人がいるんですが彼女の作るご飯にもすごく影響を受けて、出会った頃は憧れの遠い存在だったんですが、最近はお互いの家で食事をしたり、子ども同士の年齢も近いので家族ぐるみで遊んだり、親戚のような距離感で過ごさせてもらっていて。
ともちゃんの人柄や温かさ・優しさにも触れ仲良くなっていくうちに、とても大切な存在になっていきました。私のメンターの様な存在でもあって、悩みがある時も色々と相談にのってもらったりしていたんです。
そして、お菓子作りから距離を置いていた私に「米粉を使ったクッキーの製作企画を手伝ってほしい」と声を掛けてくれたのが、その頃和菓子屋さんで働いていた、ともちゃんでした。
娘が幼稚園に入園する時期で「時間も出来るしそろそろ働きたいな」って思っていたタイミングだった事と、自分が必要とされた事が純粋に嬉しくて引き受けさせてもらう事にしたんです。
商品企画などに携わらせてもらう中で店舗運営にも店長というカタチで携わらせてもらい、企画から商品化、そしてお客様の手に届くまでと、貴重な経験をここではさせて頂きました。
またしてもついつい頑張りすぎてしまい、家庭や子育てとのバランスが難しくなり、1年程で退社することになったんですが、ここで学ばせて頂いたことはすごく大きくて。
なかなか短期間では経験出来ない事をぎゅっと濃縮したような濃い時間を過ごさせてもらえた事や、何よりも「お菓子作りが好きだな」っていう気持ちに改めて気付かせてもらえた事にとても感謝しています。
その中で自分の「お菓子」に対する気持ちにも変化が生まれて、シンプルに心を満たしてくれる「身体の為」から「心の為」のお菓子作りっていう想いに辿り着きました。
『焼菓子モモ』誕生
学生時代音楽イベントで知り合った友人のhassyに「Park Trade Association(P.T.A)という新しいマーケットイベントを岡崎でやるので出店してもらえないかな?」と声を掛けてもらった事がきっかけです。
その時はまだ和菓子屋さんに勤務している時でhassyも和菓子屋さんとしての出店という相談だったんですが「自分のお店として関わりたいな」という気持ちが湧いてきて個人的に出店させてもらう事にしました。
出店が決まってから2ヶ月程の短い準備期間だったんですが、古道具を友人から買わせてもらい出店什器などの必要最低限のものを揃えて、商品に貼るためのシールや名刺は大学でデザインを学んでたのでイラストレーターとかでさっと作ったりして、極力時間もお金もかけないように準備しました。
この頃のメニューは、まだヴィーガンだけにカテゴリーをしぼっていなくて米粉のクッキー以外にも平飼い卵のカステラも作ったりしていました。
この時にこれだけの行動力が出せたのは、和菓子屋さんで実際に自分が企画し販売まで出来たことで大きな自信が着き、その経験が背中を押してくれたからだと思います。
「ヴィーガンもグルテンフリーも、アレルギーやダイエットの人のためのジャンルじゃない。
『美味しく食べるためのヴィーガンです』っていう新しい定義を示したい」
『焼菓子モモ』として出店しながら、色々とヴィーガンのお菓子を勉強の為に食べたりしている時に気が付いたんですが「アレルギーの為」に作っていたり「ダイエットしてる人」のためのお菓子になっていたり「小さい子供に食べさせる安全なお菓子」としての認知が強すぎて。
やっぱり「お砂糖を少なく」とか味が優しすぎる分メリハリが整ってないように感じることがあって。
カテゴリーが「お菓子」っていう時点で「お菓子」だから食べる人のカテゴリーを意識しすぎないで「自分が食べたいと思う好きなのを作ろう」と思ったのがスパイスとかハーブ、ナッツなどをたっぷり使用した『焼菓子モモ』のスタイルです。
料理を作るのも味が濃いものと薄いもののメリハリを作るのが好きで、それと結構似てるところがあるのかな?って思っていて。
コントラストがある方が食べてもらう人にも分かりやすくて伝わりやすいんじゃないかって思っています。
逆にいえばアレルギー向きではないし「美味しく食べるためのヴィーガンです」っていう新しい定義を示したいっていう気持ちがあったんです。
ヴィーガンの中での存在感もはっきり違ってくると思うし、そういう隙間を狙いたいっていうのもあったですが、やるならカテゴリーを超えていく思い切りの良さは大事だし、自分の中で大きな意味をもたらしてると思っています。
何よりも「お菓子」は「お菓子」っていうところの超えない部分と超えてる部分の違いはすごく大事だし、もっと自由に味わう楽しさがある。そこの定義を一番大切にしています。
ーどんな時に食材の合わせ方やアイデアはどうやって生まれますか?
とにかく食べることが好きで、新しいものや食べたことがないもの、斬新なものに常に魅力を感じることが多いので、そういう美味しいものや美味しそうなものにアンテナを常に張っています。
作家さんとして活躍されている奥田早織さんっていう大学の先輩の奥さんが凄く料理上手な方で。
その方の料理を食べたときにカルチャーショックを受けて。
スパイスも使うしフルーツと野菜の組み合わせとかも斬新で新しいのに全体的なバランスが良くて凄く美味しかったんです。私はこの方にすごく影響されて、沢山のインスピレーションを与えてもらってました。
後は、インプットをいかに素直にインストール出来るかがアウトプットする時のインスピレーションに繋がっていて。
繰り返して良い化学反応を起こしながらアップデートしていくうちにオリジナルになって育っていく感覚があります。
料理やお菓子作りに関して科学で考えてるところもあって。
クッキーを冷たくして美味しく食べるにはこういうやり方がいいとか、この割合をこうしたらどうなるかとか。食感もそうでそもそもの原理がわかっているから試作品をあまり作らず一発で商品化することも多いです。
なので、科学の部分を理解しているかどうかは大きいかな?って感じていますね。
ー店名に込めた思いー
店名の『焼菓子モモ』はよく「下の名前なの?」って聞かれるんですが、違うんです(笑)
子供の時に母に勧められて読んだドイツの児童文学で『モモ』という作品があるんですが、この作品に登場する主人公の「モモ」という名前の女の子がすごく好きで、そこから付けました。
「モモ」はいつもありのままで周りに左右されず、子供も大人も性別も関係なく友人みんなにフラットに接していて、そんな「モモ」にいろんな人が悩みを相談するのですが、「モモ」はそれぞれの話をただ聞いてるだけ。
でも「モモ」と話してるうちに悩んでいた人達が自分で答えを見つけていって気持ちが前向きになっていくんです。
特別な言葉を言うわけじゃないのに、活力が溢れたり気持ちが前向きに切り替わったり。
「モモ」は自分をよく見せようとか、相手に良いことを言ってあげようとかそんなことは全く考えていなくて。
自分自身も相手も置かれた環境も、そのまんま受け取って「ただ今そこに存在している、それだけが事実である」と感じさせるようなニュートラルな純粋さに、とても惹かれます。
『さくらももこ』さんの「コジコジ」もそうなんですが、そういう存在への憧れが強いみたいですごく感銘を受けたんです。
シンプルに「モモ」っていう響きも可愛いし、割とありふれた響きなのもいいなと思ったのも選んだ理由の一つです。
お菓子を入れる巾着を小説のサイズにしてみたり、ロゴを明朝体にしたのも本が持つエッセンスを取り入れたいなと思って意識的にそうしました。
ー信頼できる仲間との出会いー
Park Trade Association(P.T.A)での初めての出店後、春日井にある『たいようHuman Connection Natural』さんとの専属販売のお話が決まったり、金山にある『TOUTEN BOOKSTORE』さんでの委託販売など『焼菓子モモ』としての活動を始めてから、ちょっとした会話の中いろんなことが繋がってスムーズに話が決まっていき始めて。
無理やり何かしたりとか「よいしょ!」って力んだものではなくて、自分が素直にやりたいと思ったことをやってみたり、ほんの少しだけ動いてみると、どんどん自分が会いたい人たちに会えたり自分のやってみたかったことが流れるようにカタチになって夢が実現していきました。
ずっと「やってみたいな」って思っていた料理教室も春日井にある『ai da 』さんにお声掛け頂いて「スパイスの使い方がわからない人に使い方が学べてスパイスを使った料理の提案がしたい」っていうお互いの需要と供給が見事に合致してカタチになっていったり。
信頼しあえる仲間ともこんな風に出会えたり、新しい挑戦をさせてもらえる事に奇跡を感じています。
「感謝はやりすぎなくらい伝えたい」
基本的にSNSはお知らせにはなるんですけど、それよりも通販とか買ってくれた一人一人の人に対して感謝を届けたいし、通販の方には手書きのメッセージを添えさせて頂く事もあります。
不特定多数の大人数に対してっていうより、直接顔やお名前が浮かぶ方に対してメッセージを届けるつもりで発信しています。
こんなにお菓子屋さんがたくさん溢れてるのに、わざわざ私のお菓子を選んでもらえたことが嬉しいので、感謝はやりすぎなくらい伝えたいって思っています。
静岡でご縁をいただいたSHOPで展示に合わせて『焼菓子モモ』の商品を置いてもらっているんですが、そのSHOPをきっかけに繰り返しお菓子を買って下さっている方が、いつも味の感想を添えて下さるんです。
そういうのもすごく嬉しいので、なるべく直接届く様にと気持ちを込めて発信するようにしています。
「やりたい」って決めるんじゃなくて『求めてもらえたことをやること』が私のやりたいことになっていく。
料理教室の時もそうなんですが、私が「こういうのをやりたい」って決めるんじゃなくて求めてもらえるものをやりたいし、求めてもらえたことをやることが私のやりたいことになっていくんだなっていうのを感じて。
必要とされたり役に立ったり、そういう事が一番嬉しいことなんじゃないかなって思うし、何よりも私にとって大きな原動力になっています。
夫は tavie photo という出張撮影をメインとしたカメラマンをしてるんですが、いろんな形に変えられて人が集えるような変幻自在のフォトスタジオと工房をいつか一緒の場所でやれたらいいねって話していて。
もう少し先になりますが、いつかその場所で誰かの笑顔を見ることが出来たらすごく幸せだなって今からワクワクしています。
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